セクハラの根源(下)
自己崩壊を食い止めるために行動に出るのは良いのですが、その行動の厄介さは、「他人の犠牲を厭わない」という点にあります。自らの崩壊から目を背けて、一時的な快楽に逃避するとき、他人に苦痛を転嫁する卑劣さに気付いていないことが多いのです。
例えば度重なるセクハラで告発された男の言い分はこうです。
「なぜ、その程度で大騒ぎするのか」
「成り行きで」
「合意だと思った」
共通点は相手の心理への洞察力のなさと、情緒的な点にあります。情緒的というのは良い意味ではありません。証拠も何もなくなるわけですから、これほど良い言い訳はないわけです。
従って、これから男性がなしていかねばならないことは、
○男性は1人残らず性的にだらしがなく、理性のかけらもない動物であることを自覚する。
○セクハラはそういう男性の改善が求められている問題である。従って、その”衝動”には説明責任が伴う。
という感覚の反省です。
この2つを自覚すれば、性的衝動の抑止力になり、相手が嫌がっていること、困っていることの認識が出来てくると思います。女性に向ける性的な視線と関心から、とんでもない結末を迎える、そのギャップをどう説明するのか考えなければなりません。
生物的な「性差」と社会的・文化的な「性差」とは違うものです。このうち問題は社会的・文化的な「性差」から来るものです。これは様々な思い込みや身勝手な幻想を作り出す元になります。
この社会・文化的性差に結論を出すことが、少子化対策にも重要なことではないでしょうか。男の崩壊は”男らしさ””女らしさ”を改めて問うてみることで、解決されます。しかもその結論は古来のものでは行き詰ることはこれまでの事例で明らかです。
この現代にあって”男性の生き方”を問うことは、女性の解放よりもむしろ急務です。女性がいくら解放されても、男性が社会的な”男らしさ”から開放されないと、男女間の悲劇はなくなりませんし、女性がラクにならないと男性もラクにならないのです。
(完)
セクハラの根源(上)
セクハラに代表される性犯罪はなぜ起こるのでしょうか。たまたま魔が差した出来心だったのか、それともハレンチ男が多くなったのか、奈良の事件などは変質者ですが、他の事件は市の職員や教師など、社会的地位の高いヒトが起こしています。
では地位の高さと犯罪率は比例するのか、そんなことは関係ありません。どうしようもない変質者はしょうがないのですが、地位が高い「組織人」が起こす事件というところにミソがあります。
組織にどういう「問題」があるのでしょうか?世界の99%のヒトは何らかの組織に属し、その全てが病気なわけがありません。なぜスマートな遊びとも違う犯罪に彼らは走るのでしょうか。
原因はいくつかありますが、大体以下のような構図です。
閉鎖的な職場、年功序列の崩壊と成果主義、危機感や閉塞感の蔓延。
↓
「男らしさ」の崩壊。家庭での女性、子どもの価値観の変貌。
↓
弱いものいじめでしか自分のバランスを保てないヒトが出てくる。
↓
自分で自分の衝動を止められなくなる。別に変質者でなくても犯罪に走ってしまう。
というパターンです。こう書くとかわいそうなのですが、現在、男たちはより実像に近い生き方を要求され始めています。つまり、これまであった「男」ブランドが崩壊しつつあるのです。
優位性が崩壊して奈落に突き落とされるほどきついことはありません。仕事の鬼、率先垂範型で生きればパワハラと言われ、家庭では妻に家庭のモメゴトを押し付けて仕事に逃げると言われます。”男は黙って”というのは、男に実力と権威があればの話で、それがないとタダのネクラ男としか見てくれなくなります。
しかし、ありのままの自分と向き合うことが自己崩壊を招くことを無意識に感じている男たちは、何らかの代償行動を求めるようになります。セクハラがそのいい例です。
(下に続きます)
女性優遇を訴えた例
就職性差別:大阪の男性が提訴 派遣会社に賠償求める
職業も雇用も男女平等という法律もありますが、今度は女性優遇を訴えた例が現れました。原告は真摯にこの問題を社会に提起しようとしているらしく、賠償額はそれじゃ赤字だろ、というくらい低いものです。本当に反省したのか、カネでカタを付けろというのか、素直に応じる会社もあります。
事務職の例です。この職種は「ジムのお姉ちゃん」「ジムのオバちゃん」というような用語でヒト括りされることの多い職種です。
女性がなぜ事務職に登用されやすいかというと、
1、「女性らしい」繊細な神経を要求されるとする職業観
2、「職場の華」で、男性にとって目の保養になる
3、「お茶汲み」はオンナノコの仕事という観念
といったものですが、共通点は仕事の合理性でなく、社内の雰囲気の問題など、論理的には簡単に反論できるものになっている点です。感情に属するものだけに解決が難しいです。
論理的に撃砕しようと思えば以下のようにできます。
1、「女性らしい」繊細な神経…部屋がゴミ溜めのような女性もいます。
2、「職場の華」…単なるスケベ根性。下半身で仕事をするのはいかがなものでしょうか。
3、「お茶汲み」…執事喫茶を見れば、サービスの質は男女によりませんよ。
もっとも上記のような説得を社長さんと面と向かって言えば、一喝されて終わりですね。「議論に勝って勝負に負けた」という結果になります。
社内の雰囲気、士気、けじめといった精神論は非常に大事です。しかしそれを推し進めると、何かの差別や仕事の足を引っ張るような非合理性につながるということです。仕事ばかりでもありませんが、単なる男女の寄り集まりでもない、そういう社会的な「バランス感覚」が大事になっています。
現在、成果成果で推し進めてきた合理主義偏重を、見直そうという空気が強くなっています。ただし会社は仕事をするところです。仕事の合理性の上に立った雰囲気作りでありたいですね。
「日本型」に戻るだけ?
<新入社員>終身雇用望む人4割 日本型経営への回帰顕著に
日本の古き良き伝統が蘇るのかどうか?しかしこれで年功序列制、終身雇用制がそのまま復活するのでしょうか。40年前の状況に逆戻りするのでしょうか。
私はそうはならないと思います。周囲の経営者の方は相変わらず「成果主義が良い!」と言っておられますし、また、義理と人情の世の中にインターネットや携帯電話など、嘗てない物が加わって、時代の状況が変わっています。この40年間で新たに付け加わったものは、
1、パソコンの普及
2、プライバシーや個人の尊重意識
3、女性の進出
4、少子化
といったものです。
まず、パソコンの普及は、
誰もが、会社外の人脈を簡単に作れる時代が来たということです。社内の当たり前が当たり前でないことが簡単に知られてしまいます。機密の漏洩の問題もあります。
2の問題は、一番の根幹かもしれません。いったん個人としての生活が身に付けば、身も心も会社に捧げるということはやりにくくなります。3もそれに関連してきますが、女性は男性とは別人種です。そこをどう扱うかです。
4の少子化は今後労働力人口が減るということで、過労死か能率向上か、労働者は質と量のギリギリの戦いを迫られることになります。
こうした問題を付け加えると、終身雇用は守っても、年功序列はムリじゃないの、という気がしてきます。長期の教育という見地では終身雇用は大事です。しかし若いほど能力が高いパソコン関連などは、年を取ると能力が落ちてきます。
また、男女を問わずこれからは子どもの教育に全面的に関わっていかなくてはならない時代になりますので、学卒から定年まで同じスタイルで働き続けるということは困難です。
従ってこれからは、終身雇用を守りつつも、フレキシブルな就業形態(正社員⇔パートなど)とそれに伴う賃金形態の変化が重要になってきます。
日本の従業員、仕事意欲は世界最下位?
私はそうは思いませんね。少なくとも私の周囲では、事業主はもちろん、サラリーマンも相当意欲を持ち、能力を発揮して働いています。
「おお私は意欲がありますよ!」「この仕事に生きがいを持っているのです!」とはよくセミナーなどで講師の方に言われることですが、これを普通の一生懸命実務の第一線で働いているヒトに言ってもらえるでしょうか?
はっきり言って、本当に実績を出し、常に向上心を持つヒトは照れ臭くってこんなことはいえないと思います。セミナーで大声で言う方はそういうことが仕事だから言いますが、大多数のヒトは、普通の仕事の現場でそんなことを言えば、却って何か後めたいものを持っているのか、もしくはお花畑か(笑)と勘繰られるでしょう。
日本人は謙譲の民族なのです。その「謙譲」とは非常にある意味成果主義的です。
なにしろ、「こういう成果を挙げました!」と形に出て、アピールしたところで、それが明日はフイになるかも知れない、もしくはもっとすごい成果を出す人がいるかも知れない、と思うことが多いからです。
向上心にあふれていればいるほど、その方は今の成果がいかにチンケなものか、ということを自分自身でご存知です。そうやってその分野の「神」の領域まで到達するのです。それが、学歴も企業規模も関係ない、中小・零細企業で世界に通用する「技」を編み出してきました。
それに本当に仕事をしているヒトは「自分にとっての仕事の意義とは?」なんて突っ込まないものです。本当の顧客満足、従業員満足で忙しい方は、仕事の意欲なんて空気のようなもので、「なぜ雪は白いんだ?」というくらい野暮でしょう。
つまり、意欲が当たり前のヒトは「意欲があるか?」と言われると、「お前は息をしているか?」と聞かれるのと同じで、いぶかしがるか、不快な表情をするかどちらかでしょう。マスコミ受けでなく、しっかり自分の「成果」(会社の成果ではない)を追求する日本人でありたいものです。
偉いヒトの新人教育
「土俵は大学以上のことを…」元横綱大鵬が新弟子に心構え
新入社員と社長以上の差でしょうね。1から10まで実力の格闘技では、元横綱大鵬は神様以上の存在でしょう。そんなヒトでも「難しいね」と嘆じています。その教育内容は「努力と教訓」だったようです。
しかしどうでしょうか。昔のヒトの努力談を聞いて「オレも練習しよう」あるいは教訓を聞いて「悔いのないような青春を送ろう!」と雄雄しくも誓うフツーの若者がどれだけいるでしょうか。
エライヒトの談義は大抵は「理想的な若者」向けを基準にしています。ヒトの忠告を素直に受け入れ、修行に励む天晴れな若者向けです。そんな話を大多数の若者にしてもポワーンとしているだけのような気がします。大多数の若者に響くハナシとは、
何と言っても「赤裸々な現実」です。しかも英雄・豪傑の現実ではダメです。フツーの成長を遂げている年長者の現実はすぐ使えて、しかもすぐ現実の教科書として実際に現れることが多いのです。
若者だって社会人と同様「明るく楽しい」ヤツばかりではないのです。多様な連中の前で教える共通項はやっぱりすぐ使える現実です。例えば名刺の渡し方、電話の取り方を教えるのは大いに結構ですが、やったことがなければなかなか勇気が出なくて、やりそびれます。最初の一歩がムツカシイのです。
従って、まず教えるのは名刺を出す、電話を取るということにどういう決まり文句を添えるか教えます。一番多いのは「お世話になっております」ですね。行動と同時にコミュニケーションに不可欠な口を突いて出てくる言葉を、是非もなく強引に丸暗記させるのです。
その後はもうキャッチボールが始まりますから、ボールをうまく受けて返すことだけ考えれば良いのです。新入社員に対して古参社員の教えることで重要なことは、キャッチボールを始め「させる」技術です。最初はカタチから入る、というのはなかなか奥の深い言葉です。カタチがなければ改良のしようもありませんからね。
医者の長時間労働
研修医、7人に1人は週90時間以上労働…筑波大調査
90時間!!日曜日休みでも1日辺り15時間労働です。8時に出勤して夜11時まで働くのです。人の命と向き合い、緊張が強いられる仕事でこんな時間で持つのでしょうか?
アメリカでは研修医の1日の労働時間を80時間に制限しているそうですが、それにしても大変です。3ヶ月くらいなら持ちそうですが、半年も1年もとなると、とても生命の保証が持てません。
この90時間というのは人間の能力の限界点のようです。これを超えると自由時間を削るのみならず、睡眠時間を削らなくてはならないようです。このデータでは
○「うつ症状」「疲弊感」などのストレス反応が多くなる。
○患者にやさしく接することができなくなり、医療ミスを起こしやすくなる。
とあります。
医者は専門家です。専門家の労働のあり方とは、
1、生きがいを感じさせる―達成感・裁量度を高める管理体制。
2、サポート体制がある―同僚・上司の支援が必要で、過酷な競争意識を持たせない。
3、自由時間はある程度一時的に削っていいとしても、睡眠時間を削るのは厳禁。1日7時間は眠りましょう。本人のみならず、周辺全てが悪くなります。
といったことが必要です。特に大事なのは3番目の睡眠時間です。
お医者のみならず、時代は命じられたことをやるルーティンワークから、自分で価値を作り出さねばならない時代に来ています。
そのためには睡眠が必要なことは、多くの教育家・実務家が主張し始めています。ボヤーッとした頭で創造的な考えなどムリでしょう。ましてやヒトの体などはまだまだ謎の多い、デリケートな精密機器です。ボヤーッとした頭のお医者には診てもらいたくないでしょう。
これからの専門家は、単純なようですが睡眠を多く取るべし!です。
加藤鷹に学ぶヒトの使い方
加藤鷹
言わずと知れたAV男優の英雄です。そのテクニックに男性も女性も興味があり、大変な人気のある人物です。印象に残るのは、すごいテクニックというより、仕事を通じて得た、実に現実的な「人間讃歌」です。「この業界には人の使い方を知らない人が多過ぎる」という前提で彼は以下のようなことを言っています。
○ AVも撮っている物は「エロ」じゃなくて、男優にしろ女優にしろ「人間」である。
○ 被写体のことを「この人はどういう人なんだろう」って知ろうとしないヤツが撮ってもいいものは出来ない。
○ スタッフに対しても出演者にしても、人間の存在や人格が無視されてるケースが多い。
○ AVを極めるっていう事は、女性心理を極める事である。
○ 女の子のパンツの端がめくれてたら「なにやってるんだよ、直せよ」なんて言わないで、無言でサッと直してあげればいい。
○ 緊張の糸なんて、緩めても緩まらないなら、引っ張って切っちゃえばいい。そこで、その人の姿が映る。
内容こそ彼の仕事に関するものですが、そこに人材に対するマネジメントのヒントが見事に表されているような気がします。
この方、40台半ばなのでそれ相応に大人の発言になるのですが、甘くも、いたずらに厳しくもなく、人間をバランス良く尊重しています。
こういうものは私などは「エロ」以外の何者でもないと思っていたのですが、さすがプロは違いますね。観る方もエロを求めているようでいて、実は人間ストーリーを求めているのではないかと思いました。
放胆なら放胆、恥じらうなら恥じらう、また、緊張しているなら緊張していてもそれを”そのヒトの人間性”として表せるか、ここに急所があるような気がします。そこでより露骨にイヤらしくとか、絵に描いたような行為をしても観客はエロだけを求めているだけでないから、感動しないし、売れないのですね。
そこを引き出し、いい仕事をした加藤鷹は超一流の人事専門家かも知れません。こういうヒトにありとあらゆる種類の能力ある人材を使わせて、一大事業を起こせばきっと下で働く人間は喜びますし、良い結果を出せるでしょう。
ただ本人はもっと社会の奥深さはご存知のようで、特に芸能界に関しては、容姿や能力よりも「政治」(議員になるという意味ではない)が重要なことを良く知っています。
このヒト、テクニックよりもやっぱり人物の魅力で人気があるのです。直接的な「快感」よりも、ココロの「快感」が演技者にもお客にとっても重要で、それが人を動かすことを知っているのですね。
母子家庭の効用
アメとムチ発言:母子家庭に無理解、と川崎厚労相に抗議文
給付を減らせば、母子家庭のお母さんはもっと働くようになるだろう、と考えたのでしょうか。もらうべきものを減らしてモチベーションが上がった、などという話も聞いたことがありませんが、私の体験では、母子家庭のお母さんは、よく働く方が多いのです。
私の知っている社長さんで、「女性を雇うなら母子家庭に限る」とまで言った方がいらっしゃいました。なぜでしょうか?
1、自分が一家の大黒柱なので、簡単に辞めない。
2、「女一人生きていくには!」という危機感があり、向上心が強い。
3、苦労を舐めているので、人間関係が円満。かつキャリアも見込める。
という話でした。特に一番の理由は、
1の簡単に辞めないというものだそうです。中小企業は決してヒマではありません。たとえルーティンワークでも交代のヒトを見つける手間も惜しいのです。勤務を続けられるというのが、中小企業にとっての一番のメリットである会社さんは多いのです。
これらのお母さんたちは、決して恵まれた方ではありません。むしろ家庭を持つ男より大変な苦労を負い、頑張る方が多いのです。しかし残念ながら女性の賃金水準はまだまだ低いのです。いわんや、子育てをするならなおさらです。
足立区では経済的理由で筆記用具もノートも買えない、給食も食べられない、修学旅行にも行けないという、どこかの発展途上国のようなハナシが急増しています。やたらと「弱者」に国の支援を当てるのもどうかと思いますが、「裕福な母子家庭」なんて足立区では聞きませんね。
交流会の「質」と「志」
ラッシュすみだという中小企業の「共同受注グループ」があります。
いろいろな町工場さんがあって、メッキ専門、金属切削、プレスといった技能の集まりでした。テナントがたくさん入っているショッピングモールのようなものです。
ここでコンビニ向けの「ポテト揚げ機」を作るというオファーが入ったそうです。この交流会はこれを2ヶ月で作ってしまいました。大手機械メーカーは2年かかるといわれたもののようです。この違いは、工夫と知恵やノウハウの蓄積があったためですが、何と言っても「○○の神様」といわれる方の集まりだったからです。大手ではこれだけの専門家を纏め上げることは不可能だったでしょう。
それをまとめたのが、共同型ネットワークたる「共同受注グループ」だったのです。強烈な個性の街工場のオヤジたちをどうまとめたのでしょうか?
箇条書きにすると、
○ 相互信頼 : 馴れ合いグループではありません。受けるか受けないかは自己責任で判断します。先行投資も全部自分で。人に頼りません。
○ まずは自立 : 自立できない人、もたれかかりたいヒトはネットワークに入れてもらえません。
○ 何でもやること : 小ロット、多種の工程のあるような仕事を請けます。市場は決して広くはありません。
○ 異業種交流会はお断り : 異業種交流会のほとんどは人からネタを取ろうと狙っていて、自分のネタは出さないところが多いので、参加しません。
○ 浮かれてテレビなどに出ない : 「有名になりたいから」と考えるとネットワークは死んでしまいます。本当にまじめです。
まとめると、「質」と「志」になります。
こういう会はヘッドクォーターがないので、気を抜くと変な方向に行ってしまうのです。何といっても盛り上げようという志と、それを支える構成員の質が重要です。人を増やすことより、発展が遅くなっても良いから、質を維持することにこの会は腐心しているそうです。
公共性とオン・ディマンド
オン・ディマンドとは、「お客さまが決める、マーケットは神の声」という考え方です。この反対は「アクション」ということです。「こういうことをやるのだ」と、自ら能動的に、主体的に考えて行動することです。
高度経済成長時代を支えた猛者たちは、この「アクション」で仕事をしたようです。洗濯機を開発した猛烈サラリーマンは「主婦を家事労働から解放するのだ」という使命感で仕事をしたそうです。お客が決めるというよりも自分で見た改善点を商品につなげてそれが仕事になったのですね。
さて現在はどうでしょうか?
「公共性」の時代のような気がします。個性が大事だ、自由が大事だという声はどうも押されている感じがします。あまりにも自分勝手な人間が多すぎるからカタにはめなければならない、という意識でしょうか。
ホリエモンは「お客さまを向いて」ああいうことになったといいます。公共性も何もない事業は犯罪になってしまうことが多いのです。電車の中で暴れるか、おとなしく座っているか、後者の場合、公共の中では何をしても良いということではないよ、という縛りがあります。
アクションというのはこの公共性につながっていると思います。自分からちゃんと礼儀正しくというのは、そうしない人間に比べると損している感じがします。だから結構難しく、また価値のあることです。
整理すると、
オン・ディマンド:お客さま中心→自分勝手
アクション:自分の考え中心→公共性
という感じになっています。オン・ディマンドはヒトのことを考えているのに結果は自分勝手、アクションは自分勝手な考えなのに、結果は公共性と、矛盾する結果になるのが面白いですね。
但し今後は「アクション」の時代です。自分から提案し、公共性を考えて行動する、老若男女を問わず、増えている考えかと思います。
異業種交流会の組織
「マトリックス組織」という組織があります。線の出ていない組織図が特徴です。図はソニーの2005年の組織図です。
導入している会社ではこのソニーがいい例です。テレビやオーディオなど部門それぞれが独立して、それを技術や販売、生産などの「戦略会議」が横断しています。それをソニーファイナンシャルホールディングがヤンワリと統括する、といったものです。
サラリーマンでやると命令系統が2つになるなど、欠点が多いですが、独立性の高い社長の集まり例えば異業種交流会にはいい組織体だと思います。
具体的には、
企画や経理、総務などの機能を「戦略会議」(大げさな名称ですが)に分け、なにをやっているかということは「部門」に分けます。これは交流会で何をやるのか役割と仕事の内容をはっきりさせ、仕事に自覚を持つためにポストを増やすのが目的です。
これで何となく労務その他を提供して損する気分を排除でき、提供者は構成員に感謝されながらいろいろなもので会に貢献できます。最初は有能な方の兼任でも良いです。徐々に誰かにポストを割り振りましょう。
トップたる役員会には人事権と監査権を付与し、ヒトを割り振り、各業務を精査します。オブザーバーとか、役割がはっきりします。企画や広報などの「戦略会議」や、各イベントなどで外部オブザーバーを呼ぶ場合も位置づけがはっきりします。
またもっとも重要なことは、「何かやってナンボの交流会」というスタンスです。マトリックス組織では縦軸が企画などの職種に、横軸にプロジェクトになっています。交流会の呑み会も立派なプロジェクトですが、その他のプロジェクトを増やしましょう、という感覚です。
社長さんのような有能で独立性の高い個人が、全員参加の交流会によって何事かを生み出すためには、この「マトリックス組織」は良い組織体だと思います。
生きがいだけで人は動くか?
ハーツバーグのニ要因説では、
仕事に不満―関心が作業環境に、
仕事に満足―関心が仕事そのものに、
向くといいます。
前者を衛生要因、後者を動機付け要因といいますが、では果たして動機付け要因だけで人は動くのか?という例がかなり多いです。やりがいはあって、勉強にもなる、しかし薄給で生きていくにもカツカツだ、という場合には、ヒトは独立を考える場合が多いです。薄給にあえぐと、仕事の喜びを失っていくのです。
薄給でなくても、成果主義賃金であればどうでしょう。
成果主義賃金でも、薄給なら、ヒトがすぐ辞めるといいます。ウチの会社の給料では結婚はおろか、1人でもロクな生活ができない、と不満を持ってやめていく、という状態は労使双方にとって不幸なことです。
住宅費のかかる大都市圏では、生活を充実向上させるための余裕もなく、生きるために精一杯ということであれば、貧すれば鈍するの言葉どおり、仕事を通して何らかの成果を挙げようという「動機付け要因」の涵養は難しくなります。
そうなると働くことは最低限の賃金を得るための手段になってしまい、仕事の面白さや成長、達成感を得られないまま、働くことはただ苦痛という印象を持ってしまいます。
そうなることは何も若者だけでなく、その両親も知っています。そういう場合に「ニートの方がマシではないか?」という疑問を抱くことはもっともです。しかし両親は我が子が働かないのを見て不安になり、しょうがなく「働け働け」と強制せざるを得なくなります。
なにしろ、生きがいだけでは食っていけません。何といっても、最低限の賃金以上の何かをゲットできるだけの基盤としての賃金水準が欲しいものです。それを払えないとなると、労働者には「生きるためだけの賃金のみ」で、「何時やめられても文句は言えない」立場の方しか雇えません。
インフォーマル・コミケ活性化案
インフォーマル・コミュニケーションとは、会社内での何気ない交流のことです。以前なら「おい一杯飲もうぜ」の飲みニケーションが当たり前でした。しかし「プライベートを大事にする」の号令下、会社内の交流は絶滅寸前になっている会社もあります。そんな中で、社内の風通しを良くするにはどうしたらよいか考えてみました。
1、飲みニケーション予算を与える
「飲みニケーション」が少なくなった理由としては、上記のような理由の他に、上司本人の懐が寂しくなったことも挙げられます。そこで役職手当の一部を付き1万円くらいで良いですから、「飲みニケーション予算」として付けるのです。しかも、事後申請として、領収書を提出させ、用途を徹底するようにすれば良いでしょう。
まだあります。
2、社員旅行の復活
外資系やベンチャー企業では復活している例が多いのです。ドライな職場では加湿器のような効果があるのです。
ただここで注意したいのは、上司の独演会になってはならないということです。暴言やセクハラなどもっての外です。むしろ、上司はホスト・ホステス役になって、部下の悩みや不満を聞くのに徹するべきです。
3、マネジメント・バイ・ウォーキング・アラウンド
「歩き回る経営」という意味です。現場に頻繁に足を運び、従業員をつかまえて話を聞いたり、社員食堂で社員の雑談に参加したりするというスタイルです。
これほどでなくても、「最近忙しい?」「今何をしているの?」と問いかけるだけでも安心感を部下に与え、信頼関係の基礎になります。
ここで分かるのは、今までダサいと思われたようなことが、若者にも意外に見直されているということです。昔の良かった「日本的なもの」を、女性への配慮や、マネジメントというドライな観点も加えて組織のモチベーションを上げるような社風を作ると良いと思います。
成果主義に役職定年制?
成果主義賃金や人事制度とは、前向きな制度で導入されなければなりませんが、役職定年制は部長は55歳定年、など、後ろ向きな制度です。ところでこの2つを同時に採用しているところがあります。そういう会社さんはものすごい矛盾を抱えていることになります。
整理してみると、
成果主義…短中期スパンで殊遇に反映させるもの。ポストは年齢に関係なく適格者が付いている。
役職定年制…個々人の能力を一切考慮せず、年齢のみでポストを外す「姥捨て山」の仕組み。
ですから、役職定年制は少なくとも成果主義の流れのものではないでしょうね。年功制ならぬ「年悪制」です。それと成果主義を併結するのは、評価される方は何を信じてよいのか分からなくなりますね。
この「年悪制」は極めて荒っぽいやり方のある種のリストラ方法です。窓際族の溜まり場としての「複線型人事制度」もスペシャリストの職場とは名ばかりだと、同じように年功制の後始末の姥捨て山になります。
そういう制度を抱えていると、いずれは、
管理職の魅力が薄れ、価値が暴落し、必要不可欠な中間管理職はいなくなってしまいます。
こういう制度を採るならば、年功制に戻すしかありません。ここで注意したいのは、成果主義が姥捨て山になっていないかということです。言うまでもありませんが、若いことが財産や武器にならないのです。
年齢的バランスを取ろうとするの余り、成果主義を取ろうとする、もしくはお年寄りイジメをするために導入すると、その目的以外のところまで悪い効果が波及し、つぶれてしまいます。そしていったん壊れた雰囲気は元に戻すのに長い時間がかかります。
トレンドな言葉を集めても「成果主義」にはなりません。本当に成果を反映させるのなら、しっかりした仕組みを面倒くさがらずに造りましょう。
キャリア強迫神経症とその対策
マスコミなどの、「ニート」に関する間違った認識の一つに、「ニートは働くことや将来のことをまじめに考えていない」とする論調があります。
しかしこれはむしろ正反対で、「自分が何をしたいのか」「自分は何者なのか」という自分探しに疲弊し、頭の中で自問自答を繰り返すのみで、一歩も動けなくなってしまうのです。
中高年世代はこういいます。
「自分が本当にやりたい仕事」
「自分の適性にあった仕事」
「自分の能力を最大限に生かせる仕事」
「自分が好きだと思えること」
を探せと。
そして若者は素直に探すのです。そんなものはどこにもありもしないものを。疲れるのもムリはありません。そしてこういう心理は、若者のみの現象ではなく、全年代の問題です。その対策は、
○上の4文句や「なりたい自分になる」は捨てよう。
○マズローの「自己実現」は集団帰属、認知欲求が完成してこそ追求するものである。ガンジーやマザーテレサの境地を極端に追求するべからず。
○キャリアとは、目指すものではなく、自分がこれまで歩んできた道のこと。そういう意味では子育てもニート体験も立派なキャリアです。
○「幸せになるのに近道はない」管理職は「今そうしなければならないことの意味づけ」を教えるべし。
具体的には、
○中堅社員に、「我慢」体験を話して聞かせる。「我慢」という言葉を使わないでしゃべるのがコツ。
○「自分を見つめる」ことより、「社会での居場所はどこか」「その社会で尊敬されるには何をするべきか」を教えること。
これができれば、勝ち負けに極端にこだわる社会や、ギスギスした雰囲気などはなくなるのではないでしょうか。キャリアとは本来強迫されるものでないということが分かっただけでも、世の中ずっと良くなります。
ネットワークでどう振舞うか?
「ネットワーク組織論」という学問があります。役所や会社の人事論とも違い、全ての人が平等という社会主義論とも違う、独立した個人が集まる場合のネットワークを組んだり、集まったりする場合、どういうことに注意すれば良いでしょうか。ネットワーク全体の働きは、
1、議論は徹底的に行う:誰もが発言権では平等。
2、情報は全て公開:誰が何をできるかを全て把握している。
3、全員で役割分担:誰も遊ばない。
4、地域一体を心がける:特徴ある地域性を出す。
5、スピード:ゆっくりではダレてくる。
です。では個人としてはどうでしょうか。ここで1つの例があります。
メーリングリストを使った議論が、山形県の小野川温泉というところの村おこしでやられていました。これで即時共有、即時議論、即時実行を徹底的に行えるのです。しかもスピードを持って、成果をすぐに確認できるから、士気が下がらないのです。
方針は「まちづくりは民主主義、結果は自由主義経済」というものです。これは基本的に強い個の集団で、独立した個の集団です。何を行うかについては徹底的に議論します。誰かが独裁的に「やるぞ」といった時に、ネットワーク組織ではなくなります。
ネットワーク内でお互い頼ろうとか、足を引っ張り合おうとしたときに、ネットワークでなくなります。皆で努力したから皆で分け合おうということにすれば、お互い頼りあうようになってしまいます。利益は強いものが取るべきです。
ネットワークはドライな関係ながら、志は1つにして心を合わせなければならない、という人間関係として高度なオペレーションが必要です。
結果が出れば、儲けかたは各自が考えることです。労役奉仕は先行しますが、それを嫌がって、何も提供しないで見返りだけはもらいたいという方ははじき出されてしまいます。
経験―決意―動機の道筋
経験して、決意する。そして動機になってその仕事が継続する、という、より大きな仕事人の成長のパターンです。経験や動機が重要なことはみんな分かっていますが、それに至るところに「決意」があることは余り知られていないようです。しかしその決意がないと、経験(能力)があっても、動機には結びつきません。
この「決意」の引き出し方にはどういうものがあるでしょうか?5つの方法があります。
1、プロセスと尺度の明確化
2、認知及び賞賛
3、個人の成長実感
4、起業家精神
5、MVP
1、プロセスと尺度の明確化:散々やった後で、「やっぱりダメですね」と言われれば、腹が立ちます。どこまでやったら合格か、という見返りの基準は必要です。また、どうすれば成果に結びつくかの方法論も必要です。「本当にこのやり方で良いのか」と不安にならない様にしましょう。
2、認知及び賞賛:ディズニーランドのカストーディアルは、ただの掃除の人ではありません。重要な仕事と認知され、尊敬されているので、チリ一つない遊園地が実現できるのです。
3、個人の成長実感:成長し続けるからこの仕事が好きだ、というものです。
4、起業家精神:自分の作った仕事なら我が子のようにかわいいものです。盆も正月も休みもなく仕事をしてしまいます。
5、MVP:使命感、価値観、誇りといわれるものです。これまでは「青臭い」と言われてきた分野です。プロジェクトXの富士山測候所の例は、高度3,776mの仕事を高さ1.7mの人間のプライドに置き換えました。言うまでもなく、ごく普通の会社で存在することは、プロジェクトXの他の例が物語っています。
これからはお金や地位で釣るのではなく、社員がやる気を起こす「内発的動機付け」が必要です。そしてこれらのものは、文章にしてアリアリと見せ付けることが大事です。
組織はどこまで複雑か?
組織デザインとは、現在は変化に適応し、成長し続ける柔軟なものを作る必要があります。決めなければならないことは3つあります。
1、どのくらい複雑な組織か?
2、仕事を決まったやり方でするように作り込めるか?
3、分権化のやり方はどうするか?
2は公式化ができるかどうかで、単純作業ほど公式化がし易いですが、研究・商品開発は公式化は難しいです。また3は環境の多様化で、また経営者をチームで支える必要がある場合は、必然の流れです。それでは1はどうでしょう。
1は組織を情報処理機能と定義付ければ、環境が複雑になればなるほど、その複雑な環境を自分の中で処理するために、その複雑さに合わせて高度な機能を持たなければなりません。
しかし高度過ぎると、組織を作るにも維持するにもコストがかかります。単純過ぎると、コストはかからないですが、環境に十分適応できません。ちょうど良い組織の複雑さを求める必要があります。これが最少受容多様性です。
これは水平の複雑性、垂直分業に大別されます。
水平の複雑性はどのくらい細かく作業分担をするかという問題です。例えば、会社が小さいうちは経理部は財務的な仕事も兼務しますが、そのうち分けたほうが良いということも出てきます。
垂直分業は主に役職で考えると分かり易いですね。副部長、部長代理、課長補佐などというものです。ポストレスな場合に多いですが、必要になる場合もあります。
人間には管理できる限界があって、7~8人だそうです。100人いれば、組織が10以上になるということで、その長も10人以上だから、さらにその上に2人以上の管理職を置かねばならないということになります。
規模が大きくなって複雑というのはありますが、現在のますます高度になる環境によっても組織が複雑にならざるを得ないのです。
人事制度に必要な”イデオロギー”
人事を考える際には、どういう人材を重んじていくかが問題となります。そのやり方は、「できるヒトを重んずる」というような単純なものではありません。会社ごとにその独自の”イデオロギー”(思想・信条)があります。人事制度における”イデオロギー”はどういうものがあるでしょうか。例えば、
1、 年齢主義 : 年齢が上なほど、経験が長いので正しい答えを出すだろうというもの。
2、 年功主義 : 勤続が長い間に、積み重ねてきた「功」を重視しようとするもの
3、 学歴主義 : 良い学校を出た人を優遇するというもの。
4、 資格主義 : 資格の有無で能力を判断しようとするもの
5、 身分主義 : 昔なら、貴族出身のみ採用、今なら地元出身のみ採用というもの。
6、 属性主義 : 性、宗教、人種で判断。今では全く無意味。
7、 人格主義 : 「あの人だったらついていこう」というヒトを評価するもの。
8、 能力主義 : 「やりそうだ」「いけそうだ」というもの。コンピテンシー。
9、 結果主義 : 目標を手段を問わず達成できたか見るもの。短期結果主義。
10、成果主義 : プロセスを重視するものも含める。長期結果主義。
どれも一長一短があります。どれを採用するということではなく、大事なことは、
どれをどう組み合わせていけば、その会社で一番良いやる気を上げられるかということです。
例えば1の年齢主義は、年齢を積む=能力が高まるという前提が必要です。それが崩壊すればある程度割り引かれてもしょうがないでしょう。9と10の結果主義と成果主義ですが、結果だけ!というのも、場合によっては自由度があって良い場合があります。学歴や資格も必ずしも頭でっかちではなく、裏には能力主義が隠れているのです。
どういうヒトを取るか、これは難しいですが、上記のような分類で、どういうヒトを欲しているのか分析できれば、採用も少しは楽になるような気がします。
イタリアのパッケージ・バレー
「産業クラスター」のハナシです。これは業界毎に、高度な技術者が集まって、その業界のメッカになるというものです。表題の「パッケージ・バレー」は400社を超える包装機械メーカーが集まって、包装機械の世界でナンバーワンとなっています。アメリカの「シリコン・バレー」と同じ発想です。
ユニークなのは、この400社が元をたどれば一つだということです。包装機械といっても、いろいろあることは素人でも想像できますが、これをどんどん多様化し、分社化して、包装機械は何でもござれの状態になったのです。
イタリアは、会社の主役が資本家や経営者が主人公ではなく、熟練工であることが日本と似ています。会社内で修行を積んで、独立するときにはのれんわけという形になります。そういう繰り返しでできた「パッケージ・バレー」のようなものが「クラスター」といいます。
特定分野でつながった技術でつながった関連機関が、地理的に集中しつつ、競争しつつ、同時に協力も行っている状態を言います。
考えてみれば、日本にもトヨタの自動車産業のようなものがあります。今後はこういうものが、第2次産業のみならず、第1次、3次産業にも広がっていくと思います。例えば農業クラスターなどは実は昔からあったと思いますし、また、社労士業界などは、人事労務の分野はありとあらゆる要素が絡み合っているので、1人のカリスマや独裁ではムリです。そこで考えられるのが、「クラスター」でしょう。縦割りではない横割り組織が今後は大きくなって行くと思います。
企業が道を外してしまう兆候
ズバリその兆候とは!挙げてみましょう。
1、経営者や担当者が、組織能力を無視した企業戦略を焦って実行しようとするとき。ワンマン社長が「やるしかない!」といい始めたらキケン。
2、組織内の自己規制力が低下したとき。社内民主主義が低く、現場の社員が言わなければならないことを言えなくなってしまうとき。社内コミュニケーションが悪化し、みんなが「俺は知らないよ」となったら危ない。
3、行政機関の監視や指導、消費者や世論を低く評価したり、不当とみなす度合いが高いとき。企業自体が深く反省して、改善に乗り出すチャンスを失ってしまう。
4、談合、癒着、天下りで自分に都合の良い環境作りをしてしまうと、「業界の常識」という非常識がまかり通ってしまう。
こういう兆候を見出したら取る対策は何かというと、
「大人」という別の視点からの観点で見るということです。
企業人というのは組織人ですから、組織が自分の人格全てになってしまう場合もあります。過労自殺やうつ病などは、傍から見れば「どうして?逃げ出せばいいのに」と思うのですが、組織人として生きるということは、社会で生活する限り、外せません。
ただそればかりでなくて、「大人」の視点も持てということですね。つまり、
○ 「内なる他者」として、組織を監視する。組織のあり方を大人の目線で批評する。
○ 時には声を上げる。異議申し立てをして、ポイントを外す。
こうしたことによる、「ずれ」や「ぶれ」がシステム暴走の抑止力となります。この「ずれ」や「ぶれ」は反対に沈滞したシステム活性化のモトにもなりますね。大事なことはこの「ずれ」や「ぶれ」を恐れないことです。
リーダーシップ論―行動論の補完論
PM理論はリーダーシップ論として有名ですが、このP(パフォーマンス)は指示や命令力、M(メンテナンス)は雰囲気作りや結束力の維持の力ですが、この軸の内容の由来は諸説あります。
1、R.F.ベールズ説
メンバーを集めて会議を進めると、「会議のリーダシップを取って評価されるヒト」「一番好かれるヒト」は別のヒトになるということが多いそうです。、「会議のリーダシップを取って評価されるヒト」にも3種類あります。
1、引っ張っていくタイプ
2、他人の意見を集約するタイプ(課題スペシャリスト)
3、場の雰囲気を盛り上げ、議論に馴染めない仲間を支援するタイプ
どのタイプもいないと、討論で合理的に動くことは難しいそうです。
他の2つは、
2、オハイオ州立大学の研究
リーダーの行動分類が最初は1,700あり、近いものをまとめると100項目、結局2項目になってしまったというもの。行動・構造作りと配慮ということだそうで、正にPMです。
1分間マネージャー
PM理論は、PM形、pM形、Pm形、pm形に分かれますが、これを部下の成熟度具合で適合するかしないかを図ろうというものです。
能力も意欲もない部下は…Pm形:課題への関心高く、人間関係軽視。命令口調形
意欲が高まってきたら…PM形:気持ちを理解して厳しく言う。説得形
能力はあっても意欲なし…pM形:人間関係で「なあ、やろうよ」と言う。参加形
意欲も能力も高い…pm形:干渉しない。委譲形
部下の能力によってリーダーの役割も変わってくるということです。
こう考えるとPM理論は、単なる4つのグラフの象限という考えばかりでなく、結構広がりがあるということが分かります。
自己実現:マズローと現実
マズローの欲求5段階説の最高峰をなすものが、「自己実現欲求」です。この欲求はしかし、われわれ凡人にそう簡単に手に入るものなのでしょうか?
他の4段階は「欠乏動機」といわれていて、ないとたまらないからそれを求める、というものです。「自己実現欲求」はそうではなくて、「存在動機」です。つまり、その人がそこに人としてあること、そのものの意味、動機付けなのです。
しかしそこまでいくと、何か宗教的な悟りを開くことにも似て、生理的欲求が脅かされてもなお、その存在動機に基づいて行動すると思います。例えばブッダとか、インドのガンジーなどは、断食してよろよろになって生命の危機に直面しながら、道を説きました。しかし我々凡人は、どう「自己実現」を図るべきでしょうか。
なにも「オレは一体何者なんだ!」というところまで、突き詰めなくてもいいのです。「やりたい仕事」をやれば良いのです。これが一般人の「自己実現」だと思います。
無論、そのためにはさまざまな試行錯誤が必要で、苦難に耐えなければなりません。現在のニートの問題なども、若くて視野もろくに広がらないうちから「やりたいことをやれ!」と尻を叩かれて、何が何だか判らなくなってしまっているからに他ならないのです。
やりたいことが見つかるのは、ひょっとすると明日かも知れないし、年取ってからかも知れません。しかしたとえどんな会社で働こうとどんな仕事をしようと、動かなければ見つからないことは確かです。若くして5段階まで極めなくても良いじゃないか、5段階まで極めようとする行動が大切なんだ!と教えてあげられれば良いですね。
メールの世界の相手像
パソコンや携帯電話など、メールの世界では、現実に顔をあわせたベタの世界とは違った感覚が進行します。ITのコミュニケーションではどういうことに気をつければ良いでしょうか。
例えば、
○「メル友」が恋愛に発展し易い。
などは典型でしょう。なぜでしょうか?それは、相手の良い所しか見ていないからです。
個人的な情報を相手に伝えることを心理学用語で「自己開示」といい、一層仲が進むことになります。コンピューター上では、この「自己開示」が早く進むのです。本来、簡単には明かせない個人情報ですが、IT上では簡単に知ることもできたりします。しかし、現実の人間関係は違います。
「自己開示」を現実に初対面でやったりすると却って不信感を招きます。人付き合いには順序がありますが、ITの世界では飛び越してやれたりします。そこが怖いのです。
なにしろ不特定多数の人が訪れるIT世界で、自分の欠点をさらけ出せる勇気のある人は余りいません。その結果、会ってみると相手の悪いところのみが目に付いてしまうという現象も起こります。
人間というものはコンピューターで解析するにはまだまだ遠いほど、複雑で難しい存在です。実際会って長所はもちろん、欠点も包含できる覚悟を持たないと、人付き合いは続かないでしょう。
また反対に、ITの世界で簡単に進んだ人間関係を、現実の厳しい人間関係に持ち込んだ場合も怖いですね。こっちがIT的でも、向うがこっちの現実を見て一足飛びに人間関係を気付いてくれるとは限りません。「こっちが個人情報をさらしたのに!おのれ~」というような一方的な心理を生んだりします。
ITの世界と現実は大いに違い、現実の方がはるかに厳しく、それが人間そのものである、という認識が失われないようにしたいものです。
プロジェクトXで言いたかったもの
終わりましたねえ。プロジェクトX。終わった主な理由は「ネタ切れ」だそうですが、VHSや富士山レーダーの話など、思い出に残る番組でした。ここでリーダーシップとは何か、考えてみました。
特に富士山レーダーの話は、この番組を代表するものではないでしょうか。「男は一生に一度でいいから子孫に自慢できるような仕事をすべきである」この発言は、ビジョンというには大き過ぎます。夢とか信念といった範疇のものだと考えられます。
これは経済合理性や通常の価値基準で図れません。美学や哲学のお話です。変革期のリーダーはこの次元まで話を持っていく必要があると思います。
一番必要なのが、
○理性の壁を超えること
です。プロジェクトXの「ものすごいやる気」は大学教授が目標設定理論で理論化しようとしてもダメだったそうです。この理論では目標は、困難だが、できないことはないという程度が良いそうです。しかしプロジェクトXは違いますね。1%の生きる可能性にかける、そんな話が多いです。
メンバー1人1人が目標を主体的に捕らえられるかどうか、また、失敗の実例ばかりですね。そのイヤになる気分に耐えられるかどうか、これは理論ではありません。逆境を楽しむくらいの「ここまでやらねばならないのか」という対応をする必要があります。
そこで、変革期のリーダーシップとは、ビジョンを建てる+計画管理をするということに加えて、理性の壁を超える説得が必要なようです。
子会社のいろいろ
大きい会社から分離して子会社にする、もしくはのれん分けで傘下会社にする、ということはよく行われていることですが、あまり積極的な理由で分社化することはないような気がします。
例えば、天下りのポストとか、会社法のルール上やむをえなくてというような理由が多いのです。つまり「親の身勝手な都合」が多いのですね。子会社のことは、人間の親子関係を想像すると良く分かります。
「親がうざったい」「新事業を任せられたい」「親と違ったマネジメントをしたいから」というのは、親の社長に対する子の専務のような感情ですね。血縁関係で何となく子であるという以上に、何のための「子」なのかという意識が組織の場合、必要になってきます。まず、
1、儲ける目的か、それ以外か。(収益性の追求)
2、子の事業と親の事業はどういう関係か。(依存か独立か)
この2点で4つの分類が出てきます。
A 受け皿会社
1、収益性:低
2、独立性:低
余剰人員の「受け皿」です。企業内では賃金を下げにくいので、外に出して賃金を下げるというやり方です。収益を求めるものではないし、独立性も低いです。
B 機能会社
1、収益性:高
2、独立性:低
収益性の高いある部門を外に出すことで、お客さんの厳しい要求にさらされ、緊張感を出し、機能を高度化させます。
C 戦略会社
1、収益性:低
2、独立性:高
新しいことをやっていて厳しい風にさらされる会社ではありますが、最初から収益は望めない会社のことです。
D 事業会社
1、収益性:高
2、独立性:高
これは普通の会社ですね。
子会社は上のいずれのパターンだろうと、グループ内における明確な位置づけが必要です。明確でない場合、子会社の社長は事業会社だと思い、儲けと収益を追求し、短期的に物事を考えてしまいがちです。そうなると本社の意に自然に背くことになります。どういう子会社なのか、性格を明確にする必要があります。そして、ゆくゆくは事業会社にするよう、親が子を育てるような努力をしていただきたいものです。
考え方を根本から変えるには?
ものの見方、考え方を変えることを自由自在に行えれば、その会社は時代に遅れることもないでしょう。しかしそう簡単には行きません。人間過去の成功体験など、人間ある程度すがるものがないと生きていけないからです。
これは言い方を変えればよいと思います。「新しいことをやろう!」と知識を与える、これだけで良いのです。「変革だ!変えろ!」では何を変えていいのか分かりません。生きている現状も否定するのは良くありません。
知識を得た上で、よし!それでやろうと態度を決め、決定し実行、そして固定して考え方は固まるのです。「新しいことをやろう!」という知識の与え方は、研修する、直接説得するのが一般的ですが、以下のようなやり方もあります。
1、無理やり体験させる
「いいからだまされたと思ってやってみろ」のやり方です。子どもの食わず嫌いを直すには、「一口食べてごらん」というのが良いのです。無論「ほーらおいしいだろう」という演出も必要です。
2、リアリスティック・イノベーション・プレビュー
ネアカな情報だけでは人は信用しません。真実ではないからです。ここで厳しいことをしっかり言うことが必要です。しかしただ「厳しい厳しい」というだけではダメなのです。厳しいがしかし、「大丈夫だよ」この一言が重要なのです。
こうしたやり方を経て、知識が受け入れられ始めたら、後は態度→決定→実行→固定と、プロセスをたどれば良いのです。制度に関することのコミュニケーションには左脳も必要ですが、右脳も含めた感情も含めた合理主義であるべきです。
リーダー必ずしも頑張るべからず
変革期のリーダーはともすれば肩に力が入る場合が多いです。「君に任せたからね」と言われて、「私の責任でやり遂げます」は良いですし、部下に「僕と一緒にやってくれ」というのは当然です。
しかしリーダーが「私が全部取り仕切っている」というのは×です。これを言うと部下にどういう反応が出るでしょうか?
○部下は「我々は何もやらなくていいのか」と思ってしまう。つまり、言われたことだけやっていれば良いと思ってしまう。
○部下に「今どうなっている?」と頻繁に尋ねることになり、部下は「信用されていないのだ」と思ってしまう。
○危機的状況にリーダーが頑張りすぎると、部下の逃走が始まる。これを見てリーダーはますます「俺がいないとダメ」となり、悪循環が作られる。
リーダーが熱くても、部下が熱くなるとは限らないのです。これは、どういうことなのでしょうか?
これは責任というものの考え方によるのです。
責任というのは取るか取らないかの二者択一ではないのです。分担してその配分をはっきりさせるべきものなのです。ここまでは私の責任、ここから先は貴方が負ってくれ、と言うべきなのです。
従って、一方が責任過剰になると、もう一方は責任を負わないのなら後でリスクだけ取らされるのはたまらんから何もしないよ、となって逃げてしまうのです。権力委譲というのは実は責任分担という組織として当然のことをするに過ぎないのです。
ワンマン社長といっても、組織を大きくされた方は、なんだかんだ言ってちゃんと権限を委譲しているか、もしくは委譲していることに気付かないだけなのです。
管理者はオレはワンマンだ!でも良いのです。しかし頑張らないようにするという呼吸が大事ですね。「大事なところはオレが決定するが、細かいことは言わない」と言っているのと同じ効果が出れば◎です。
マトリックス組織というもの
10数年前は結構な組織形態といわれていたものですが、最近とみに人気のなくなった形態です。
組織は職能(営業とか経理とか)で分けたり、事業部で分けたりと、形態は様々ですが、複雑な環境に適応すべく考え出された形態です。
たとえば、地域管理ラインと製品管理ラインが合わさって、その交点に人を配置するということです。その人は「○○県事業部」と「○○製品事業部」の両方から成果を求められます。つまり、2人の上司が彼に命令することになります。
その長所は、
1、小さい単位で動くので、自律的:縦割りの大組織の歯車ではありません。
2、詳細に把握できる:2つの目で見ているので本質が分かります。
3、バランスが取れる:2つの目のどちらが重要か、バランスを取ることが可能。
さて、こういう組織形態がなぜ人気がなくなったかというと、
○2人の上司が矛盾した命令を出す場合がある。
○2つの要素とは限らず、別の要素が入ってきたときに混乱する。例えば上の例ですと、技術開発や、プロジェクトを組む場合の別のチームの要素が入った場合、どれを優先すべきなのかはっきりしない。
○各人の自己主張ができず、ストレスが溜まり易い。
○コミュニケーション能力が完璧でなければならない。
これらのことを解決するには、トップが調整するための意思決定をするべきなのですが、現場が分からないとどうしようもありません。つまり、管理する方はラクなのですが、現場の現実はもっと複雑なので混乱を招き、「現場が怠けているんじゃないか?」という誤った認識を抱く危険性があるということです。
もっとコミュニケーション能力を上げていく必要があるのですが、そうそう能力のある人間ばかり集まるわけでもないというところに難しさがあるようです。
グループの意思決定手法
集団の意思決定は間違った方向に行くこともあり得ますが、これを「行かせない」手法もありますので、いくつかご紹介しましょう。
1、 ブレインストーミング:批判をしない雰囲気作り
2、 名目グループ法:集団で会っているけれども、名目上会ったことにするシステム
3、 デルファイ法:メンバーは会わないで、匿名で意見をやり取りする。
ブレインストーミングは有名ですが、下の2つはあまり知られていないものですので、解説いたしましょう。
○ ブレインストーミング:意思決定の際に使用します。
○ 名目グループ法:意見を集約するときに有効です。
話し合いを始める前に、自分の意見を紙に書かせます。そして、1人1人順番にアイデアを提示させて発表するまで、一切意見を言ってはいけないことにします。
↓
すると誰がどういう意見で何が大多数か良く分かります。
↓
議論は各自の意見にランク付けをします。従って意見交換は行われません。個人的な志向を妨げない工夫です。
○ デルファイ法
意見を匿名で集約して、集計し、もう1度フィードバックします。
↓
その集計結果を見て、意見が各自で少し変わります。もう一回解答して集計、これを繰り返します。皆自分で考えていますので、雑音がありません。しかしヒトの意見は聞いています。これを繰り返すと、最後はかなり違ってきます。この手法は未来を予測する場合に使いやすいです。
これらの方法はインターネットによって実行されやすいです。
重要なことは自分または集団の意思決定を、「正しい」という前提で判断してしまう傾向があります。人間1人1人は限界がありますし、集団になっても弱いところがあります。そういうところもあると謙虚に受け止める姿勢が大事です。
意思決定:バカの壁のいろいろ
集団の行動ではとりわけ意思決定に際し、愚かな結論が導かれることがあります。ではなぜそういう結論がなされるのか、転じてどうしたら正確な意思決定に近づくことができるのか、意思決定における「バカの壁」について考えてみました。
1、 人間の特性であるバカの壁
2、 計算ミスのバカの壁
3、 集団によるバカの壁
4、 成功体験というバカの壁
5、 常識というバカの壁
それぞれについて検証してみると、
1、 人間の特性…人間は7つしか同時に覚えられず、20秒で忘れる。カクテルパーティ効果が有名。大勢の声が錯綜する中で、注目するヒトの声だけ聞こえる。少し前に重要な情報があったのに、忘れて意思決定をしてしまうこと。
2、 計算ミス…直観で計算してもアテにならない。人間は計算能力には乏しい。直観に毒されている計算は判断を誤る元になるが、それを正しいと信じてしまうこと。
3、 集団…同調行動(“権威”に屈従してしまう)、少数者の影響(声が大きければ多数が動いてしまう)、リスキーシフト(2極分化の意見は危険度の高い方へ傾く)などの傾向
4、 成功体験…1回成功するとずっとその体験で成功しようとする傾向がある。
5、 常識…変革期であれば、立場が変われば常識は変わる。
といった感じです。到底これくらいの分量で説明し切れませんが、「バカの壁」で誤った意思決定をするワナはいくらでもあります。しかし集団の意思決定を安全ならしめる方法も当然あります。ワナを飛び越えて、最上の経営判断をいたしましょう。
恐るべし健康増進法
健康増進法25条:「多数の者が利用する施設を管理する者は、受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずるよう努めなければならない」
この「努めなければならない」というのは「努力義務規程」というもので、できなくても懲役に行くことはありません。しかしこの措置、国から鉄槌はなくても、社員から損害賠償責任を追及されますので、注意が必要です。
最近は役所における「嫌煙権」の主張から始まって、判例で受動喫煙の害が認められるようになり、損害賠償が支払われるようになりました。これに対する対策の注意点は、
1、喫煙コーナーで煙が漏れない措置が必要:空間が仕切られ、煙が漏れない措置または、空気清浄機の傍で喫煙するなどの指定が必要です。
2、接客業において、店員やタクシー運転手が喫煙しているところをお客に見られてイメージや信用をなくす事も考えられます。サービスに影響のないところに喫煙可能エリアを設けるべきです。
最近の嫌煙の態度は私自身は狂気に満ちていると考えていますが、法律がある以上、どうしようもないのです。健康増進法は本来、病気になる人を減らして国の医療負担を減らそうという狙いがあるのですが、その負担を1から10まで企業に求めるのはちょっと酷な気がします。
退職時、有給休暇ガバッと取る!
社員が辞めるときに、「今までの有給休暇ください」と言って、辞めてから1ヶ月近く無労働で報酬をもらう例が多いです。「こう言われたんだがどう対処したら良いか」と相談されるのですが…
はっきり言って、最後に請求されたらそれを拒むことはムリです。つまり対処のしようがないということです。なぜなら、有給休暇は、請求するしないに関わらず、労働者に当然発生するという権利だからです。発生してしまったものは取り消せないのです。
では何も対処できず、どこの会社も1ヶ月近い無労働報酬を支払っているのかというとそうでもないのですね。きちんと有給を取らせている会社は当然として、計画的に消化している会社は多く存在します。どういう方法かというと…
計画的付与というものです。夏休み、冬休みなど、取れるものはけっこうあると思います。そこで6日以上の有給休暇を一斉に消化させることができます。これは労使協定を新たに結びます。しかし新入社員などは有給休暇がない場合もありますので、その際は、休業手当が必要です。できれば繰り上げて有給休暇を与えることをお勧めします。
もう1つが時効を使う方法です。有給休暇の時効は2年ですが、前年度の有給を繰り越した場合、古い方でなく新しい方を使うのは、就業規則に定めた場合、違法ではありません。これは労働基準法に定めがないために、民法の弁済充当の規定を使うからです。これは借金は新しい方から返しなさい、というものです。思わぬところから理由が出てくるものですね。
会社のほんとうの財産
会社の財産とは何でしょうか?自社ビルでしょうか?立派な事務所でしょうか?人材そのものでしょうか?人材というのは当たっていますが、それぞれの人材が仕事をどう感じたか、これが財産だと思います。
「こういうことをしたらお客さまに感謝された」
「仕事の達成感を味わえた」
「こういう改善で社長にほめてもらった」
こういう、よし!この会社で頑張るぞ!というやる気につながった「感動」こそ財産なのです。これは何も手の込んだことをする必要もないし、お金もかからない場合が多いです。お客さんが関わっても良いし、自分がやる気になれば、犯罪にならなければ他のことでも構いません。
真にカリスマチックな経営者なら、ちょっと声をかけてもらった、というだけでも大感動です。要するにその会社で育ってきた社員が蓄積した豊富な経験、しかも良い経験が会社のほんとうの財産なのです。「お客さんをゲットするノウハウ」より「お客さんが感動するノウハウ」の方が何となく価値がありげに見えるでしょう。
ここで注意したいのは、会社ごとにこの感動の基準は違うということです。ある会社では営業に良い成績を上げた場合、報奨金を出さずに、海外旅行に家族で招待しています。優秀な若い人は遊ぶ暇もなく働いていて、通帳にお金が溜まっていくだけの生活をしている方も多いのです。そういう方に遊びを与えれば、確実に褒賞になるでしょう。
社風にあった、社長さんのキャラクターにあった褒賞を与えることが大切です。そのためには社長さんの価値観、何のために会社を興し、何のために働いているのかをはっきり認識する必要があります。それを就業規則などの条文でなくとも、公に公表できるのであれば、なお良いです。
年功でなかった、日本型年功制
日本企業の先達が積み上げてきた人事システムといわれた日本型年功制。「年齢が上がれば賃金が自動的に上がり、50代になれば会社は我が世」というイメージがありますが、これもちょっと細かく検証すると、以下のような特徴があります。
1、年功制は給料で報いるシステムではない。
2、賃金制度はモチベーションをあげるものではない。
つまり、年功制でも差はついていた、ということなのです。では給料で報いずに、何で報いていたか、また、賃金制度は何を保障するものだったでしょうか?
まず、給料で働きに報いるシステムでなかったという点ですが、重要なのは、次の仕事で報いるシステムだった、ということです。つまり1つの仕事をすると、1つランクアップした仕事をさせてもらえる、というものです。
これほど強い動機付けはないでしょう。部下を大勢抱えるには難しい仕事をこなせるようでなければ1日たりともその地位にいられないでしょう。「コーチング」という新しい概念は実は既に使われていたのです。
また、賃金制度は何のためにあったかというと、言うまでもなく最低生活保障ですね。年を取れば子どもの教育もお金がかかる、なら難しい仕事をやるのだし、賃金アップだ、と言うのは理にかなっています。
つまりこれまでの日本企業は最低生活賃金+年功制インセンティブで持ってきたのです。これは今日の成果報酬制と変わりません。むしろ間違っているのは賃金をやる気付けに用い、次の仕事をさせるという栄誉をわざわざ貶めて、「当たり前だ」としてしまったところにあるのではないでしょうか?
整理しますと、
賃金≠やる気
賃金=生活保障
仕事のランクアップ≠生活保障
仕事のランクアップ=やる気
なのですね。ここをしっかり押さえるべきだと思います。
「落しどころ」の重要性
絶対安全と思われた教室内での殺人事件です。この事件に、「どこにいても安心できない」と、通り魔が安全なところに出たというような感想もありますが、私は、「こういうところだからこそ起こった事件」のような気がします。要は組織にも問題があった、ということです。
殺された小6の女の子は、殺した講師をひどく嫌っていたようです。これはおかしなことではなく、10代前半の特に男女間は、好き嫌いが激しく、極端な排斥に走ることもあります。誰でもありうることです。
一方講師は、窃盗・暴力事件を起こしたことがあるのは問題ですが、明るい教育熱心な講師だったようです。問題は「悪口を言われた」「殺しの用具をわざわざ準備した」という険しい心理にどうしてなったか、ということです。こういう心理にしないためには…
「落しどころ」が重要だと思います。「落とす」人は上司でも同僚でもコンサルタントでも構いません。どういうことかというと、
○年ごろの女の子に嫌われるというのは良くあることで、気にすることではない、代わりの人を当てれば良いということを伝える。この講師は嫌われたという意識を肥大化させてしまったのです。「大したことではない」ということを意識させるのです。
○この講師を担当から露骨に外すだけではなく、何らかの救済措置を取る。例えば何らかのリーダーシップを取る場所に行かせるなど、業務改善の案を出させる、事務の効率向上、講師と生徒のコミュニケーションの提案など、ポジティブな配置に就かせ、わき目も振らず仕事をさせる。これが本当の「落しどころ」です。
必ずしも本人の責任でないところで失敗したことをどうするか?チクチク突いてそれが本人のためになるなら良いのですが、この講師は1人の女の子に嫌われたことを人生の失敗とまで大げさにしてしまいました。
失敗を追及して「落とす」だけでは落ちるところまで落ちてしまいます。落ちたらそこに安全装置を組み込んでおくのが、「組織」の役割だったのではないでしょうか。過去の前科を汲み取れなかったことも問題ですが、それ以上に、この学校は「落しどころ」の研究がなかったのではないかと思うのです。
高年齢雇用、誤解の多いところ
高年齢者雇用確保措置の改訂で、今まで60歳だった定年年齢が、平成18年4月1日で、62歳までの定年ということになります。
ここで誤解があるのは、「平成18年4月1日から平成19年3月31日まで:62歳」となっているところを、「62歳まで雇えば良いんだろう」と思われる方がいるということです。つまり、ここで在籍中の60歳以上の社員はすべて62歳で定年にすれば問題ないのでは?ということです。
この法令の経過措置は、
平成18年4月1日から平成19年3月31日まで:62歳
平成19年4月1日から平成22年3月31日まで:63歳
平成22年4月1日から平成25年3月31日まで:64歳
なのですが、例えば、平成18年5月1日で60歳の方がいたとします。そうしますとこの方は、
平成18年5月1日で60歳:法では62歳だから定年なし。
平成19年5月1日で61歳:法では63歳だから定年なし。
平成20年5月1日で62歳:法では63歳だから定年なし。ここではまだ定年ではないのです。
平成21年5月1日で63歳:法では63歳だからここで定年。これが正しいです。
ということになります。法と年齢が追いつかないと、定年にできないということです。今までは年齢のほうが動いてくれましたが、来年は法も動きます。法が動く前に、退職金、人事制度も含めた措置をしましょう。それに関するシュミレーションは上記のように簡単なもので良いのです。
また、年配の社員の方が会社にいてくれれば、それだけ技術教育も充実します。教育計画もしっかり練りましょう。国は年金を65歳支給にして、定年をさっさと引き上げたいのですが、急激にやると技術力が急激に失われるので、緩和措置を入れ、誤解を生んでいるのです。法をむしろ利用して、賢い定年延長をしましょう。
やる気を出すものと、あって元々のもの
仕事のやる気を起こさせるものは何だろうか?というのは1つのテーマですが、経営者が良かれと思ってやることでも、やる気を起こさせるものと、そうでないものがあります。
やる気を起こさせるもの…達成、承認、責任、昇進、仕事そのもの、成長の可能性など
あって元々のもの…給与、作業条件、雇用安定、会社方針、職場の人間関係など
給与を成果報酬にすれば、社員もやる気になって働く、などは間違いの典型です。給与はあって元々のもので、いくら増えてもやる気にはつながらないものです。これに対して成果を追い求めた結果、アシストや協力した人材の評価がなおざりになり、社内にギスギスした空気が垂れ込めると、優秀な人材から辞めてしまう、というのが分かるでしょう。
ここでいいたいのは、
人事制度と賃金制度は不可分の存在ということです。
成果報酬の例を見ても分かる通り、賃金成って、人間ダメになる、では最悪退社、とどまっても会社に頑張ったもの負けという空気が蔓延します。
だからもし賃金制度を改定するならば、目的をはっきりすることが重要ですね。社員の質が下がってもいいから人件費を減らしたいというのであれば、賃金制度を作るのはお安い御用です。社員に達成、承認、責任、昇進、仕事そのもの、成長の可能性を感じさせる賃金制度、これが重要なのです。
営業マニュアルというもの
営業マニュアルの研究をしています。
数万円の大マニュアルから安い営業本まで、いろいろ読みました。しかし結論は営業に王道などない、ということです。
これは営業マニュアルの作者はいい加減だ、ということではありません。営業をやって、人間を知り尽くした方は実に熱心です。いい加減な情報を流せばどうなるかという怖さを知っているというのもありますが、その人に”営業地獄”を脱してもらいたい、という熱情がすごいのですね。
もし会社組織があって、その会社の色に染め上げろというのなら、マニュアルも良いでしょう。しかし不特定多数の営業マンに売る教材は、存在しないような気がします。ではどうして個人は営業能力を高めるのでしょうか?
答えは色々やってみると言う実践しかないのです。飛び込む、電話をかける、チラシを作るというハードはどこにでも載っています。これにお金をかけてはなりません。本の二、三冊も読めば十分でしょう。
しかし、いざお客を目の前にしてどう振舞うかは、それぞれなのです。あるマニュアルには「大げさにジェスチャーしてアピールせよ」とあれば、別のものには「大げさなジェスチャーは営業では浮いている」とあります。どちらの意見も実績ある営業マンが書いたものです。どうしてそうなのか、解説を読むとどちらも説得力があるのです。
結局、自分で行ってみて、自分を信じて思ったように行動するというしかないのです。自分のマニュアルは他人には通用しません。人相手は千差万別であることを考えれば、これは当然でしょう。
ある程度のレベルまで行けば、後は自分でやりなさい、という感じになりますね。具体的には「こういわれたらどう切り返せばいいか?」という疑問を持つようになったら、もうマニュアルは通用しなくなります。言われたように覚えていっても、うまくいきません。自分のこれまでやってきた勘と、自分のキャラクターを信じて、やるしかないのです。
営業マンの未来(下)
「デキル営業マン」をのこし、「できないけれども好かれる営業マン」を切った場合、会社はどうなるでしょうか?
残った営業マンは、
1、企画や管理はソコソコできる
2、客から嫌われるので、人間関係を結ぶことができない。
3、そのため、お客のところへ行きたがらない。
4、その結果、仕事がもらえない。
と言うことで会社の業績をますます悪化させました。そのためしばらくは、営業に行かないで注文をとるためのノウハウが盛んに研究されました。
しかしそれも多くの企業が取り入れるとともに競争力を失い、現在は再び営業マン個人の能力に頼らざるを得なくなっています。
「できないけれど好かれる営業マン」(要するに普通の営業マン)を切り捨ててしまうと、肝心の「営業力」を切り捨ててしまうことになりかねないのです。お客の方もどうかというと、「できるお客」は5%もいないのですね。残り95%のお客で経済が持っているようなものなのです。
お客からバカにされたり、笑われたりすることは営業マンにとって大変「オイシイ」ことなのであり、非常に重要な営業ノウハウなのです。効率や能率のみならず、こういうところからも営業マンの素質を見抜く必要があります。
営業マンの未来(上)
現在の営業マンのあり方とは、どういうものでしょうか?激しい競争と不況により、営業マンに対する期待も大きく、要求されるものも大きくなりました。
デキル営業マンとは、
1、服装、身だしなみ完璧。
2、電子機器、情報機器を使いこなす。
3、商品知識に精通している。
4、提案内容は優秀。
5、仕事に自信があるので、下手に出ることはない。
6、お客との人間関係は無視しがち。
というイメージがあります。しかしこういう人はあまり多くありません。営業マン全体の5%もいないでしょう。普通の営業マンというのは、
1、服装、身だしなみ無頓着。
2、電子機器、情報機器に弱い。
3、商品知識はあまりない。
4、調査、企画、計画、提案能力はあまりない。
5、お客に下手に出ることができる。
6、お客との人間関係を重視する。
と、こういう感じでしょう。つまり、「できないけれど好かれる営業マン」です。昨今、お客に好かれるけれど、なかなか業績が上がらない、実務能力に欠けた多くの営業マンがクビになっています。しかしそのことで、会社の業績が上がったのでしょうか?
実はこの手の営業マンを切ってしまったところに企業の営業力の衰退原因があります。
(下に続きます)
オカネで買えるか?優秀な人材
「教育なんてする必要なし!教育された即戦力を取ってくれば良いんだ!」と、いう方がいます。確かに高いレベルの人材のヘッド・ハンティングは高い給与を条件として挙げることが多いです。では、再就職先で彼らが高い給与を得て満足しているかというと、そうでもないようなのです。それほど大騒ぎするほどの額でもないという話です。
ではなぜ彼らは転職するのでしょうか?
ヘッド・ハンティングされるような転職希望の人も、その理由に一般人とそれほど違いはないのです。つまり、人間関係のトラブルや、仕事上の失敗で居づらい雰囲気になってしまったから、あるいは「名の通った」会社に行きたいというようなもののようなのです。
しかしそれを転職理由に挙げては、先方で「こいつは人間性に問題のあるヤツだ」「仕事上の失敗?使えねえじゃねえか」「”有名だから来ました”とは何事だ!」と判断されるのは目に見えていることです。だからとりあえず、無難な「給料が上がるから」というポジティブな理由を挙げるんだそうです。
無論、本当の意味での「経営者」の転職については、もはやカネではないのです。社長の一族が経営を押さえているところの実力ある「番頭さん」が、収入を大幅に減らしても独立するのは当たり前のことです。こういう方は経営者の手腕を発揮したいのです。
こうなるといくらカネを積んでも引き止められないですね。「経営者マインドを持て!」という会社ほど、実はカネに代わるシステムを求めているのです。
目標管理は万能か?
目標管理制度(MBO)は成果主義人事の浸透とともに、各企業で競って導入されています。この制度は業績向上と能力開発に極めて有効です。しかしどこにでも効く万能薬なのでしょうか?
例えば、
なにを?…売上高の向上
どれだけ?…対前期5%アップ。
どのように?…①資料の新規作成、②営業の効率化、③訪問回数のアップ
いつまでに?…①1月、②2月、③5月
どうであった?…対前年比10%アップ①再改訂②効率化は改善の余地あり③訪問回数は10%アップ
という感じで導入されます。ここで生ずる注意点は、
1、管理職の基準として導入すること…管理職は競わせるので良いですが、一般社員は協力する局面もあるので、一般社員個人個人に導入すると、教えたり助け合ったりしなくなることがあります。
2、ノルマ管理にしないこと…上司が力量のある人でないと、客観的に物事を見れなくなります。また、風通しを良くし、一般社員の意見や実情が良く分かるようにすることも重要です。
3、上司と部下の仲がよいこと…具体的に数字の出ない申告制の場合が多いので、信頼があることが第一です。
4、裁量の余地がある業務に適用すること…製造第一線のように決められた業務では、QCサークルで改善提案を出した方が良いです。どのように?を見ても分かりますが、ある程度、抽象的であったほうが良いのです。
このように、中小企業では特に、上司の統率力と、動機付け能力、それに会社の状況を知らせる情報公開が必要です。つまり、やる気があってナンボの成果主義なのです。成果主義がやる気を喚起するのではありません。ここに注意しましょう。
会社はだれのもの?
楽天とTBSとの経営統合問題は、楽天が経営統合提案をいったん取り下げることになりました。そして保有するTBS株の一部を信託して議決権を持つ持ち株比率を低下させ、「放送とインターネットの連携」を実現するための話し合いを始めることで合意しました。
「会社は株主のもの」というクールなITビジネスマンたちの言葉も、必ずしも正しくないという印象ですね。
どうもお金任せではうまく行かない感じが見えはじめています。では会社は誰のものなのでしょうか?社長のものでしょうか?従業員のものでしょうか?
私は「会社の持つ哲学のもの」だと思います。ちょうど日本国が誰のものでもなく、「もっとも良くあるべき日本」のものであるように。その「最も良くあるべき~」は何が良いのかは、人、会社それぞれです。
「お金儲けをする」
「人のために役立つ」
「信念・正義を貫く」
「従業員の雇用のため」
「お客様の笑顔のため」
何でもいいのです。そこで働く人が納得できれば、多少の厳しいことも我慢できます。
楽天とTBSの「放送とインターネットの連携」もなんのために連携するのか、財界への根回しがうまく、球団を持つことに成功した楽天が、どういう企業を目指すのか、これがTBSと一致したときに、多くの人々の支持を得られるものだと思います。
キリンビールの人事考課制度
10数年前、キリンビールはアサヒのスーパードライにシェアを奪われました。スーパードライの発売と同じ年、その職制は年功制を廃して1年毎の貢献度だけで処遇して行こうと、職能資格制度を導入しました。この制度の特徴は、
1、管理職に経営マインドを持ってもらう
2、加点(ポジティブ)思考への転換を図る
3、窓際族を作らず、全社員の生涯現役化
4、社員1人1人の戦力アップ
です。その内容は、
1、管理職でない課長を作り、若手の登用を促します。
事務、監督、技能、特別とあった職群を統合し、9階級に分け、階級が一定以上なら、部下なしでも管理職にしました。つまり、役職と処遇の分離。これで窓際族をなくしました。
2、考課の項目は以下のように変わりました。
・業務達成度 → 業績向上
・能力・態度 → 戦略構築・改革
・部下の育成 → メンバーの戦力化(ライン)、専門性の発揮(専門職)
能力・態度が重要でなくなり、戦略構築・改革が設定されました。これはより経営者のマインドに近づけるものだそうです。また上級管理職になるほど、戦略構築・改革が重視され、業績は2の次になっています。
窓際族をなくすのはともかくとして、管理職は業績より戦略構築を主眼に置けというのがいい教えです。また、管理職の下の総合職は年功制を残し、能力給で差額が出るようにしました。
評価の方法は、管理職は相対評価、総合職は絶対評価、賞与は相対評価です。この配分も管理職同士の競争、さらに一般社員同士の協力と競争のバランスをとるのに適しているといえます。
会社内引きこもりとは?
引きこもりは日本特有の現象だといわれます。100万人の引きこもりというのは他の国では類を見ません。無論健全な引きこもりはあります。冷静にものを考えるとか、芸術家が著作や創作に没頭するときなどはそうです。
しかしこの国ではワケもなくいい若者が引きこもる傾向があります。同じことが社内でも起こりえます。絶対的孤独より、集団の中の孤独の方がきついと思いますがいかがでしょうか。
その原因はいくつかあります。
1、自己表現を許さない風潮 : 「良い社員」のステレオタイプを演じなければならない。
2、謙遜の風潮 : 「本当の自分を見せる」恐怖があり、人間関係で緊張を感じる。
3、対立を避ける上司 : 会社と部下が問題になると、上司は部下に我慢させるケースが多い。で、上司の信頼がなくなる。
4、喧嘩両成敗の伝統 : 加害者と被害者の区別がなくなる。被害者は損した気分になる。
5、会社の治外法権 : 会社内の独自の不合理な慣習が公然と認められている。
6、暴力の伝統 : ハズれると、怖いよ、ということで、非主流派には恐るべき制裁が待っている。
7、加害者を守る構造 : 「チクリは良くない」という風習。やったもの勝ち。
ではその解決策は?
1、自己表現を許さない風潮 : 表現できる場を作る。社内報など、場を増やす。
2、謙遜の風潮 : インフォーマルな横組織を育てる。
3、対立を避ける上司 : 対立とケンカは違います。異議には理論立てて応酬しましょう。
4、喧嘩両成敗の伝統 : 複数の目での評価制度を設け、公正な判断を。
5、会社の治外法権 : たとえ不合理に見えても、合理的なことを説明できるマニュアルなど用意をする。
6、暴力の伝統 : 当事者以外の第3者の目に見てもらいましょう。セクハラなどの相談機関は必須です。
7、加害者を守る構造 : 裁判所に該当する諮問機関を作りましょう。
どうにもこういう問題は、「怠けだ」「人付き合いができない」「上司や会社が悪いんだ」という結論に行きがちです。その結果本人が悪いということになって、社員の定着を阻害するのです。コミュニケーションをする機会を増やしましょう。しかも、自然な形で溶け込めるような雰囲気は、上層部で作ってあげましょう。
リーダーシップの具体像
その人がどういうリーダーシップをとるのか?PM理論というのがあります。
Pは指示や命令力、Mは雰囲気作りや結束力の維持の力です。少ないと小文字になります。
1、PM:勤勉派
2、P:猛烈派
3、M:遊び派
4、pm:ほどほど派
という分類になります。どれが悪くてどれが悪いという意味はありません。この4つはどういうものでしょうか?またその見分け方はどうでしょうか?
1、勤勉派
業績にこだわり、自ら率先するが、人間関係のバランスも考える。
2、猛烈派
仕事の内容を中心に考え、適切な指示と手本を見せる。人間関係にはこだわらない。出世欲、名誉欲が強い。
3、遊び派
人間関係を中心に考える。チームワークで行動し、結果にこだわらない。仕事よりも仲間や家族を大事にする。
4、ほどほど派
仕事にも人間関係も部下の自由に任せる。社会活動や地域の行事に関心を見出す。
この4つの類型に必ずどれかに当てはまる、ということではありません。もっとも望ましい上司の理想形はどれかと考えることで、自分にはこういう要素もある、という参考になります。勤勉派が必要なときもあれば、ほどほど派がチームとして高い業績を残す状態もありえます。
体格じゃない、外国勢の強さ
大相撲九州場所はモンゴル出身の横綱朝青龍の優勝と、ブルガリア出身の関脇琴欧州の大関昇進確実というニュースでもって幕を閉じようとしています。
ここ最近の外国勢の台頭は、体格の大きさによるもの、という論調が多かったのですが、それもすっかり時代遅れになりました。今や、ありとあらゆる面において、外国人力士の台頭は当然という空気になってきています。具体的に言うと、
○ 精神力が強い : 外国人は帰るところがない(遠い)から強いし逃げない。
○ 技術力がある : 抜群の運動能力があり、レスリングから転向したという要因もある。
○ けいこ熱心 : 多ければ多いほどケガが少なくなる。
精神力に技術力に忍耐力に加えて無故障となると、強くならないわけがありません。では肝心の日本人力士はどうでしょうか?
○ ケガが多い。
○ 精神力が弱い。「覇気がない」との話。
○ 「細く長く」で、大関になる寸前で伸び悩む。
昔はこんなはずではありませんでした。帰るところはなかったし、けいこや技術を積まないと大きい力士には勝てません。精神力は個人レベルとしても、ケガと伸び悩みは何とかならないでしょうか。日本人にもハングリー精神と、まじめなけいこを積む習慣が必要ですね。但しそれを付けるのは、昔ながらの相撲界の風習に戻せばいいのでしょうか。ちょっと違うと思います。
朝青龍は旧来の風習上、いろいろ批判されましたが、結果は残してきました。外国人と比べて日本人は1から10まで旧来の風習を墨守すると思います。そこが弱さの原因ではないでしょうか。
貴乃花親方の「改革案」は若貴騒動に紛れて、その草案が吟味されることなしに終わりましたが、ガラリと仕組みを変えるような大変革が、貴乃花のような実力者によって行われるのがベストのような気がします。
働かざるものは特権階級?
この本によると、階級の上下関係というものは、収入の量でなく、その財源らしいです。現在自分が稼いでいるものはそれがどんなに多額でも所詮は成金だそうです。
ではどんな富が価値があるのかというと、財源の古い財産です。つまり世襲の財産は労働の対価に勝るのだそうです。当人の能力に無関係な富こそ「特権階級」の証のようです。
だから労働の対償としての賃金は、上下関係のプライドとは無関係であると。そこで現在、どのようなことがいえるのでしょうか?
高給取りや、お金持ち≠人間的価値や、努力ということですね。ニートが増え、残業を厭うのも同じところから出ています。成果報酬制度がうまくいかないといわれているのもこういう意識が働いているのだと思います。
フリーターやニートの親御さんには「つまらない就職をするならニートで良い」という意見もあります。
つまり、カネだけでは、人は動かないという証拠なのかもしれません。生きがいを持って働ける、もしくは1ランク上の仕事ができるということなしには、もはや会社に対する忠誠心など持ちようがないところまで行っています。
それで必要なのは人事システムです。全ての社長さんや管理職がカリスマ性を持てればいいのですが、それを助けて、信賞必罰を確実にするのが賃金設計や人事設計などの制度です。しかしそんな制度をはっきり形にするところは少ないです。いや、たくさんあるのですが、知られていないのです。それが結局ニート問題や社会の閉塞感につながっているとすれば、これは残念なことですね。
才能と仕事
「○○について才能がある」とはいかなる図り方をすれば良いでしょうか?明らかに下手、誰が見ても天才というレベルなら迷うことはないのですが、問題はその中間レベルです。磨けば光るのか、いくらやってもダメなのか、判断に苦しむことも多いと思います。
才能もいろいろあります。漫画家の才能、政治家の才能、社労士の才能などなど、ここでそれぞれの分野で「才能がある」といえるのはどういう状態なのか考えてみました。
○才能とは一定の障害は突破できるもの。
才能が発揮できないのを他のせいにしない。無論気の毒な場合もあります。しかし「時間がない」「しょうがない」という程度であきらめてしまえるモノは才能ではありません。
○才能はカネにならない場合もある。
歌人が随筆を書いたら、歌を作るより報酬が高かった、というような場合です。画家ゴッホは肖像画は描きませんでした。カッコ良く、美人に書かねばならないからです。その結果、ゴッホの生前には彼の絵は2枚しか売れませんでした。
○才能は自由を束縛する場合もある。
作家がそうですね。ここで終わらせようという小説を読者の希望で続けざるを得なかった、という場合がそうです。社労士をやるにしても、給与計算なぞやりたくないのに仕事が入ってくる、やりたい人事考課の仕事は入ってこないなどという場合です。
こう考えると、やりたい仕事とは何なのか、やりたい仕事に就くのは実は大変な労力が必要なのではないかと思います。才能があるかないか考えるよりも、今できることでいかなる可能性があるか考える方が、より建設的な気がします。
もし自分や誰かの「生きがい」を見つけたりしなくてはならない場合、「やりたいこと」より「できること」に比重を置く方が安全です。そして、「やりたいこと」を追求するなら、それ相応の苦しみを享受しなくてはならないようですね。
「ほめること」の弊害
世の中「ほめる教育」がブームです。しかし世のぎすぎすした雰囲気は直りません。「ほめること」の長所は良く言われているとして、ここではその弊害を列挙してみます。
1、自立には明らかにマイナス:指示に従って動く受動的な存在を作りだします。「ほめられれば動く」ははなはだ受動的です。
2、評価漬けにする:評価の網で人間を覆い、主体性の芽を摘んでしまう。何でも「評価」「評価」では、利益を出す「評価されない行動」がなくなってしまいます。
3、意欲を削る:常にほめてやらないとダメな見掛けの意欲を大量生産してしまう。つまり、指示されないとやらない風潮を作り出してしまいます。
4、「面白さ」を感じられなくなってしまう:ほめられる仕事をしようと思っていると、評価の目ばかり気にして、仕事自体の面白さを感じられなくなってしまいます。
5、「居直り的」自信を付けさせてしまう:自信とは、謙虚さに裏打ちされた自分の弱点や限界を知った上での自分自身への肯定的評価です。しかし、、「居直り的」自信はほめられたから自信が付く、という底の浅い自己肯定です。基本的なマナーの欠如はこれが原因なことが多いです。
話は変わりますが、ナポレオンは数学が好きだったそうです。その理由は、
「足したり、引いたりするばかりでなく、掛けたり、割ったりすることもできます。間違いは許されない。出てくる答えは1つである」という点に感動したんだそうです。
ナポレオン流ですが、ここには良い点を取る、出世できるというような「褒められる」要素は入っていません。確かに他者の目を意識することは重要で、高い点を取れれば数学も面白くなるでしょう。しかし、他者と同じくらいに「自分がどう思うのか」考えなければ、ほめられなければ何もしない、恐るべき人間像が出来上がってしまうのではないでしょうか。
「自分を変えるきっかけ」2題
現在、「自分を変えたい」ブームですね。時代の流れかもしれませんが、変えるのもいい場合と悪い場合があります。
これはいい場合です。司法試験に大学を休学して受からなくて、ではミス日本でも受けようかといって、準ミスになりました。偉いのはここからですね。タレントとしての活動の合間に司法試験勉強も続けてその年に通りました。勉強時間はすべっていた年度より随分減ったと思います。「自分を変えて」結果をゲットした好例です。彼女の前途は洋々と開けました。
友人が一人もいない、進路について悩んでいる、では人でも殺せば変われるだろう、という考えです。人を殺すのも場合によってはワケがあったりしますが、この人の場合は通り魔のようです。何の罪もない若い女性が虫けらのように殺され、この少年は死刑ではないでしょうが、当分ムショ暮らしでしょう。前途は…少なくとも洋々ではありませんね。
両者の最大の違いは何でしょうか?
人に働きかけていくか、依存するかの違いだと思います。
司法試験に通らないなら、気分を変えて、ミス日本にでも出てやろうと、自分にとっては落ちても元々です。いい結果ならうんとプラスです。人に働きかけるとは自分中心に考えるとそういうことです。
依存する場合はどうか?悩んでいるのは司法試験の人と同じです。では気分を変えて、人を殺してやろうと、自分にとっては殺そうと思って殺さなければ元々で、殺すとうんとマイナスです。人に依存するというのは、実行すると、自分か相手か両方がマイナスになることを言うのです。
「自分を変える」には人に働きかけていきましょう。人にプラスになることを提案していきましょう。依存せずに、ダメならさっと引きましょう。1勝10敗くらいなら、劇的に人は変わると思います。
ほんものの体育会系とは?
体育会系の原点はやっぱり軍隊でしょう。旧日本軍で、人間関係で一番イヤだった事として挙げられるのは、暴力に基づく鉄拳制裁です。しかし軍隊では、そこに意外に理由があったりします。例えば海軍では…
・敷居を踏んでいけないのは→フネを傷めないよう、またつまづかないようするため
・敬礼でヒジを張らないのは→狭いフネの通路で素早く動くため
・声出しをするのは→戦争中、嵐の航海中でもでも命令が聞こえるようにするため
・ロープを踏んではいけないのは→足を蛇のように絡まるロープに取られないようにするため
帆船は船乗りの練習になるといいますが、こういうところで役に立つんですね。一歩間違うと命にかかわることです。
こういうところで、敷居を踏んだり、声が小さいと鉄拳が飛び、痛い思いをするというのは、命を掛ける軍隊なら当たり前のことです。もっとも今の自衛隊であるかどうかは分かりませんが。
しかしここで「命まで掛ける要無し」ということになったらどうでしょう。単なる意地悪になってしまいますね。意地悪した方が完璧な能力の持ち主であれば、突っ込まれなくて良いのですが、今は、若い方が能力がある場合もある時代です。
では怒らなくていいのかといえばそうではありません。体育会系の初心に帰るのです。「意地悪」の要素をなくして、最初に挙げたように合理的にやれば良いのです。その際重要なのは決して「俺が育ててやろう」と思わないことですね。欠点をつぶせば完璧になる、欠点ができれば改める、こんな簡単なことです。
他人の精神的成長などはどんなに偉い上司でもできるものではありません。そこまでやったら疲れてしまいます。いつしか体育会系は、合理的な成長というところを外して、精神まで支配するものになってしまいました。ほんものの体育会系とは、実は目標達成のための合理的な手段なのです。
「働くな!」という哲学
過労死や、メンヘルの問題が取りざたされておりますが、「働くな!」というやり方があります。死んだり精神病になっては元も子もない、というわけです。中でも気をつけることは、
(1)評価の対象となる結果だけを手段を選ばず追い求める
(2)高い評価を得やすい仕事にはできるだけ時間と労力を配分する
(3)評価を得にくい仕事には、できるだけ時間と労力を配分しない
(4)評価の対象とならない仕事は重要な仕事でも一切しない
だそうです。高度成長期とは全然価値観が違いますね。しかし、これでいいのでしょうか?
無論これは、「サラリーマンの身の守り方」ですから、積極的に仕事をしようとする向きには関係ないのかもしれません。
しかし「評価の対象となる仕事だけする」となると、社員全部がそういうことをしたらどういうことになるでしょう。評価の対象となる仕事は、それだけで仕事として成り立っているものではありません。コピー取り、資料作りなど、「雑務」はどうなるのでしょうか?これまで仕事を教えた先輩の功績はどうなるのでしょう?
愛社精神と終身雇用に支えられてきたチームワークで発達を遂げてきた日本の社会の仕組みに、こういうやり方ははなはだ合わないと申し上げるしかありません。「評価の対象とならない仕事」は誰かがやらなければならなくなります。そうなるとその人の負荷は?考えただけでも恐ろしいことです。
評価の対象を事細かに決めるより、大雑把な方が良いという好例のような気がします。縁の下の力やアシストを評価できる仕組みを作りましょう。
人間関係、うまくいくコツ
世話焼きと、マイペースの人がいたとします。というか、人間関係はほとんどこのケースだと思いますが。
どううまくストレスを貯めないか?
世話焼きの人は、世話を焼いてそれが受け入れられると満足します。
マイペースの人は、自分の満足できる行動を自由に起