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自民党に学ぶ組織維持

「私は一大決心をした!!」
昭和56年夏、自民党の政府与党首脳会議の席、当時の鈴木善幸首相の発言です。

二階堂進自民党幹事長、安倍晋太郎政調会長、中曽根康弘行政管理庁長官、宮沢喜一官房長官、河本敏夫経済企画庁長官など、次期首相を窺う当時の実力者、荒武者連中の揃った席での発言です。突然立ち上がって、コブシを振り上げて以上のような発言をしました。

雰囲気がピーンと静まり返ります。すわ内閣改造か?はたまた辞任発言か?

続く言葉は「この夏は十分休暇を取る決心をしたよ!」というものでした。これで一気に緊張がほぐれ、一同笑いに包まれました。

これは首相の冗談ということもあったのですが、去年の夏、大平元首相が過労で倒れたということから、「休暇?いいんじゃないの」という空気があったことも大きかったのです。

鈴木政権は、自民党の実力者連の権力闘争の結果、生まれた政権でしたが、大平元首相の死以来、ストレスを貯めまい、人を殺すような闘争はすまいという空気が支配したコトは確かです。

その結果、自民党はどうなったかというと、

抗争はやめよう、ということから挙党体制の道を歩みました。鈴木政権の後、中曽根、竹下、宇野、海部、宮沢といった政権はいずれも争いらしいものはなく、実力者の指名で決まりました。

宮沢元首相の後、小沢一郎現民主党代表の仕掛けで自民党は政権から外れましたが、党内抗争は起こらず、「加藤の乱」もあっという間に腰砕け。小泉内閣が5年以上続くことになったのも、挙党体制の名のもとの融和からです。彼に対抗する勢力はすっかり弱体化し、今、ポスト小泉に挙げられているのは「無難な」人です。

確かに組織内一丸となって、は組織の長命化につながりますが、一番の欠点は「実力者が育ちにくい」ということでしょう。ドロドロの権力闘争を勝ち抜いた三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の各首相はそう簡単には折れないタフな一面を備えていました。彼らはその前時代、池田勇人、佐藤栄作の時代に散々「闘争」してきたからなのです。

この「タフな一面」は学校へ通ったり、温室育ちではなかなか身に付きません。もし磐石の小泉自民党体制が崩れるとするならば、この辺りが、民主党の政権奪還の「付け入りどころ」のような気がするのです。

死者も出るような厳しい環境は英雄を作りますし、しかし組織を持続させるにはぬるま湯のような息抜きも必要です。それをうまく組み合わせて結党以来50年を閲してきた自民党の組織には学ぶものも多いです。