« 日本の従業員、仕事意欲は世界最下位? | メイン | 「日本型」に戻るだけ? »

いさかいをなくす方法

ここに一本の柿の木があったとします。村のさる古老の持ち物です。その木に秋にはたくさんの柿の実がなります。それを村のワルボウズどもが盗みに来ます。古老は怒って、「このガキどもめ!」と追い回します。

それを毎年見て、心を痛める5歳の子どもがいました。そういうイザコザを解決するために、彼はどういう手段をとったでしょうか。悪いのは柿を盗むガキどもか、小さいことでいちいち怒る古老か、彼は随分悩みました。

彼はどういう行動に出たでしょうか。木を切り倒してしまったのです。つまり、「柿の木さえなければ争いごとはなくなる」という考えです。この子どもの父親は「もうこんなことはするな」と静かに言い、木を倒された古老も「5歳の子どもがここまで知恵が働くとは将来が楽しみでないか。」と笑い飛ばしてくれました。

私なら、こんな争いくらいなら放って置けばいいのにと思いますが、この小さい子どもの事件は後の日本に大きな影響を与えました。この子の名前は、

石原莞爾です。上記のことは明治時代の実話です。軍人で思想家。世界最終戦論という著書で、彼の死後60年近い現在の国際状況をある程度言い当てています。

満州事変を起こしたヒトで、侵略戦争の首魁として評判は悪いのですが、あれは侵略ではなく、上記のようなイザコザの解決法だったということでした。柿の木は中国、満州事変の結果できた満州国は木の切り株といったところでしょうか。

要は、争いごとがあるのなら、仲裁ということを考えず、その源を断ってしまえばいいという考えです。当時の中国は欧米列強のつかみ取り状態でした。欧米(古老)と日本(ガキども)が中国(柿の木)を巡って争うなら、中国を解体してしまえという論議です。その結果満州国ができました。

これは勿論歴史的に破綻しましたが、イザコザの仲裁には1つの考え方になると思います。例えば労使が賃金でもめるなら、賃金をどうという論議はやめて、福利厚生を立てるとか、休日や残業対策、さらに作業能率、社内組織まで切り込んではいかがかという提案につながることになります。

視点の転換ということですね。簡単なようですが、実際となると結構難しいものでもあるのです。ですからここに「仲裁者」ではなく「転換者」としての専門家が必要になるのです。