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日本一のリストラ名手

山本権兵衛のことです。日清戦争前、彼は海軍大佐、海軍省大臣官房主事でした。要するに大臣の傘の下で権力を振るえる立場に立っていたのです。

明治25年の日本海軍は、大国清との戦いを控え、新しく変わらねばならない時期にきていました。明治初年の戊辰戦争や10年の西南戦争では海軍が大活躍しましたが、今度は外国へ出て行かなくてはなりません。当時は「薩摩の海軍」で、薩摩藩の藩閥が幅を利かせ、ムカシの戦争の「功臣」が重要な地位を占めていました。

これらの功臣は近代海軍の正規教育を受けていないという欠点がありました。新しい人の論理を抑え、国内戦争の経験に基づくカンで部下を率いていこうとしていたのです。彼らに引いてもらうためにはどうしたら良いか。彼らは山本主事が生死を共にした先輩や同僚たちです。山本主事も薩摩出身でした。共に国事に奔走した連帯感もありました。彼はどう説得したでしょうか。

以下、問答風に点描します。

○同じ薩摩人の同僚の首を切るのか!
■オレは薩摩人ではない。近代海軍の山本だ。

○ただで済むと思うなよ!
■斬るなら、この場でお前をたたっ斬る。

○倒幕戦争は薩摩の天下にするための幕府への復讐だ!
■違う!薩摩が他の国を支配し、威張るためではない!西洋列強に植民地にされないために人材を伸ばし、法を整備し、近代化し強い海軍を作らねばならないのだ。

○西郷どん(隆盛)は薩摩に殉じたぞ!
■その西郷どんが言った。「ついてこなくて良い。薩摩より大事な海軍のために勉強し、日本のためアジアのために働いてくれ」と。

○俺が悪かった。許してくれ!
■お前は要らない人間ではない。現役を退いただけだ。

これで納得したそうです。要諦は、
1、自分の立場を示す。
2、断固たる意思を示す。
3、会社の方向性と、本人の考えの違いを示す。
4、公論を筋道立てて説明する。
5、ちゃんと救済策も示す。
ということです。

1年後の日清戦争で兵力に劣る日本海軍は、優秀な人材から出た戦略と戦術で勝利を収めました。上記を見ても分かりますが、彼は決してクールにクビを宣告したわけではありません。その過程は大変人情深いのです。後に総理大臣を2度務め、80歳を超える天寿を全うした偉人のリストラは、このように合理的で、しかし西郷どんの思想のように「敬天愛人」(天を敬い、人を愛す)なのです。