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生きがいだけで人は動くか?

ハーツバーグのニ要因説では、
仕事に不満―関心が作業環境に、
仕事に満足―関心が仕事そのものに、
向くといいます。

前者を衛生要因、後者を動機付け要因といいますが、では果たして動機付け要因だけで人は動くのか?という例がかなり多いです。やりがいはあって、勉強にもなる、しかし薄給で生きていくにもカツカツだ、という場合には、ヒトは独立を考える場合が多いです。薄給にあえぐと、仕事の喜びを失っていくのです。

薄給でなくても、成果主義賃金であればどうでしょう。

成果主義賃金でも、薄給なら、ヒトがすぐ辞めるといいます。ウチの会社の給料では結婚はおろか、1人でもロクな生活ができない、と不満を持ってやめていく、という状態は労使双方にとって不幸なことです。

住宅費のかかる大都市圏では、生活を充実向上させるための余裕もなく、生きるために精一杯ということであれば、貧すれば鈍するの言葉どおり、仕事を通して何らかの成果を挙げようという「動機付け要因」の涵養は難しくなります。

そうなると働くことは最低限の賃金を得るための手段になってしまい、仕事の面白さや成長、達成感を得られないまま、働くことはただ苦痛という印象を持ってしまいます。

そうなることは何も若者だけでなく、その両親も知っています。そういう場合に「ニートの方がマシではないか?」という疑問を抱くことはもっともです。しかし両親は我が子が働かないのを見て不安になり、しょうがなく「働け働け」と強制せざるを得なくなります。

なにしろ、生きがいだけでは食っていけません。何といっても、最低限の賃金以上の何かをゲットできるだけの基盤としての賃金水準が欲しいものです。それを払えないとなると、労働者には「生きるためだけの賃金のみ」で、「何時やめられても文句は言えない」立場の方しか雇えません。