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学校の支配する国家

国が学校を作った例は多いものの、学校が国を作った例は、日本史では私は1つしか知りません。明治時代の西郷隆盛が作った私学校の支配する「鹿児島王国」です。

明治10年の西南戦争まで約3年しかありませんでしたが、西郷どんという大カリスマが「学校」を通して支配したという点では稀有な例です。学校というより政党であると理解した方がいいという本もありますが、その特徴は以下のようです。

○一国一校の独占的教育機関
○科目は精神教育、漢学
○校風は「薩摩固有の精神を守る」
○その精神は「武士として生死を省みるな」
○鹿児島県の民政を全部担当。
○「砲術科」と「外国語科」を設けた。

確かに学校であり、講義もあったのですが、実際は前記のように政党と考える方が分かり易いです。西郷隆盛自身が思想家史に出てくるようなカリスマでしたし、多くの薩摩武士を西郷色に染め上げた軍事教育という点では、後の西南戦争を起こしたことでも分かります。軍事的に衆の意思を統一した点では大成功でした。

この学校になかったものは、工業科と、戦略科でした。薩摩はもともと殖産興業の国だったのが、新政府への反発から一切工業を起こさず、戦争では西郷軍では極端な弾薬不足に苦しみました。また、どうやって政府軍を打ち破るかの戦略がなく、良い知恵もあったのに、終始力攻めで、ブレインがいませんでした。

国という複雑な組織を運営していくには、ある一方のことだけではダメなのです。学校もある程度総合的ならいいのですが、何かに偏ってしまっては、合理的に動きがたいことが分かります。西郷どんは革命家でしたが、他に価値観を持ち込むような人材がいたにもかかわらず、組織として受け入れられなかったのは、西郷どん個人はリベラルだったのに、残念なことです。