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まつりごとは事務ではないよ

今から1800年ほど前の話、三国志の時代です。後に蜀の皇帝となる劉備は、ようやく一国一城の主となりました。当然地方官など、行政官が必要となります。そこへあばた面の、見るからに貧相な男がやってきました。

龐統(ほうとう)という男です。頭脳は当時の超一流。劉備の軍師諸葛孔明に匹敵する賢才といわれた人物ですが、外見はただの男に過ぎません。彼を知る孔明は地方に出張中で、何も知らない劉備は訪ねてきた彼を地方の裁判官にします。

しかしこの龐統、任地に下ってもまるで仕事をしません。毎日酒ばかり飲んでゴロゴロしています。「けしからん!」ということで、劉備軍一の猛将、張飛が監査にやってきました。

張飛は若い役人に言いました。「龐統はどこにおる?」
「今日も酒を飲んで寝ていらっしゃいます」

張飛は龐統のところへ行きました。
「やい!お前はいつから仕事をするつもりだ!」
「ぼつぼつやろうと思っている」

張飛は懲らしめるつもりで、「3日のうちに溜まった業務を処理しろ。さもないと首をはねるぞ」
と言いました。

翌朝から龐統はにわかに裁判を開いて、溜まっていた訴訟の処理にかかりました。
「こういたせ」
「こう仲直り」
「それは甲が悪い乙は何がしかの損害をやれ」
「それは丙が悪い。ムチを打って放せ」

さすが天下に1,2を争う天才です。水の流れるような仕事振りで、数か月分の仕事を1日で一気にやってしまいました。このときの龐統の言葉です。

「まつりごと(政治)は事務ではないよ。簡便なるほどよろしいのだ」
確かに書類を書いたりすることは事務ですが、天下の揉め事を裁き、切り盛りすることは、簡単な制度ほど良い、と言っているのです。このことは何も龐統でなくとも、マネジメントをするもの全てが、心得ることだと思います。何か難しいことを言うよりも、人を率いたり、揉め事を解決するカリスマ性というものは簡単な常識である事を考えると、良く分かります。

この後龐統は呼び戻され、軍師として蜀の国を作ることに活躍します。決して「知識の塊」ではない、簡便なる知恵が、戦乱の世に一国を作ったものと言えるでしょう。