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才能と仕事

「○○について才能がある」とはいかなる図り方をすれば良いでしょうか?明らかに下手、誰が見ても天才というレベルなら迷うことはないのですが、問題はその中間レベルです。磨けば光るのか、いくらやってもダメなのか、判断に苦しむことも多いと思います。

才能もいろいろあります。漫画家の才能、政治家の才能、社労士の才能などなど、ここでそれぞれの分野で「才能がある」といえるのはどういう状態なのか考えてみました。

○才能とは一定の障害は突破できるもの。
才能が発揮できないのを他のせいにしない。無論気の毒な場合もあります。しかし「時間がない」「しょうがない」という程度であきらめてしまえるモノは才能ではありません。

○才能はカネにならない場合もある。
歌人が随筆を書いたら、歌を作るより報酬が高かった、というような場合です。画家ゴッホは肖像画は描きませんでした。カッコ良く、美人に書かねばならないからです。その結果、ゴッホの生前には彼の絵は2枚しか売れませんでした。


○才能は自由を束縛する場合もある。
作家がそうですね。ここで終わらせようという小説を読者の希望で続けざるを得なかった、という場合がそうです。社労士をやるにしても、給与計算なぞやりたくないのに仕事が入ってくる、やりたい人事考課の仕事は入ってこないなどという場合です。

こう考えると、やりたい仕事とは何なのか、やりたい仕事に就くのは実は大変な労力が必要なのではないかと思います。才能があるかないか考えるよりも、今できることでいかなる可能性があるか考える方が、より建設的な気がします。

もし自分や誰かの「生きがい」を見つけたりしなくてはならない場合、「やりたいこと」より「できること」に比重を置く方が安全です。そして、「やりたいこと」を追求するなら、それ相応の苦しみを享受しなくてはならないようですね。