« 恐るべし!戦時の労務管理 | メイン | 江戸時代のワークシェアリング »

革命家と政治家

幕末の革命軍というべき存在だった長州藩の奇兵隊は、トップたる総督とヒラの取締役たる軍監で幹部層を構成していました。身分に関係なく隊員を募った日本初の近代軍隊はどういう構造だったでしょうか?

総督はしょっちゅう変わりました。オーナーの高杉晋作はメンドクサイと言って総督の地位をすぐ退き、隊務を、軍監の山県有朋に任せました。

高杉晋作は革命家ですが、実務家でなかったので、組織作りや経済面などは、山県に任せたのです。歴史を回転させる体制は作るし、そのための行動は起こすけれども、組織を維持したり、隊士の面倒を恒久的に見たりということは苦手だったのです。この山県は実務家でしたが、卓抜した政治家でもありました。

実務だけやっていたのでは、平社員です。そこで彼は、得意の槍術を教えました。それで特殊技術の持ち主として重んぜられ、現場の分かる取締役として重きを成したのです。トップがころころ変わる中、山県は実務を執り行い、隊内ではナンバーワンの地位を得たのです。

政治家は自分の才気というものに重きを置きません。山県も槍術を生かしたのは最初のうちだけです。では何を信頼したかというと、「時間」です。力を蓄えつつ、時間が経過していくのを待つといえば簡単ですが、そのためには力が必要です。個人であれば忍耐力、集団なら団結力も必要です。

彼は決して実務以外の高邁な議論や、政治論議には加わらなかったといいます。これをやると平隊士から浮くからです。団結力の頂点に立ってこそのトップであると認識していたからでしょう。長州藩は絶対的なトップを許さない藩風でした。現在の日本に若干似ていますね。薩摩藩が「先輩の意思は絶対」というのに比べると対称的です。

だから、高杉晋作の革命の最初(たった30人で挙兵)には、山県は異を唱えて参加しませんでした。平隊士から突き上げられて、しょうがなく後から従ったのです。山県は歴史を旋回させる能力はありませんでしたが、歴史を維持する能力はあったということですね。彼の組織の才がなければ、奇兵隊は空中分解していたでしょう。

革命家の方針と、しっかりした実務の政治家、この2つで時代が旋回することがよく分かります。明治の世になり、国民皆兵の時代は奇兵隊をも解散させてしまいました。代わって日本陸軍ができましたが、山県有朋は大正時代まで長生きして、日本陸軍を発展させました。

日本にも現在多くの革命家が出ています。では実務家は?これだけ早い時代の流れです。もうあちこちで活躍しています。その実務家の中で国会に出るとかでなくても「政治家」になる方が何人いるでしょう。