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恐るべし!戦時の労務管理

現在では中学を出ていないと、普通は働けないことになっていますが、60年前の戦争中はそうも言ってられませんでした。中学1年から、授業を休んで「勤労奉仕」として民間の工場などに狩り出されていたようです。最初は工場側でも持て余していたのですが、空襲が始まる頃になって切羽詰ると、結構重宝するようになったようです。

欠勤は厳しくチェックされたようです。チェックするといっても社長がするのではないのです。事業所は警察署に出勤簿(タイムカード)の提出を義務付けられていました。また、出勤簿の検査に警察官が巡回してきていた時代だったのです。

そこで何をチェックするのかというと、

当然、遅刻欠勤のことです。同一人が1ヶ月に何回も欠勤するとリストアップした上で、警察官が自宅を訪れて実情を調査します。

そこで悪質と断定されると、東京を離れて北海道の炭坑に送られました。強制労働の禁止も、職業選択の自由もあったものじゃないのです。なにしろ、「タコ部屋労働」の本場に恥じぬ過酷な労働条件に、厳しい気候で、想像以上につらかったようです。

送られた人は「これからはまじめに働くから、何とか帰れるように手続きをしてほしい」と、炭坑の仕事のつらさを書き連ねたそうです。

当時は鉄道で旅行に行くにも、警察の「旅行証明書」が必要だった時代です。あらゆるところに警察が入っていました。まあ、今の時代は良いです。中学から工場動員されたり、怠けたらしょっぴかれて酷寒の地で強制労働、なんてことはありませんから。