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加藤嘉明の人事論

加藤嘉明(よしあきら、と読みます)は私の故郷、松山の殿様でした。豊臣秀吉子飼いの大名で、天下統一に大いに貢献し、城下町松山の基礎を作った領主です。家康時代も乗り切りましたが、会津に移ってから子の代で取り潰されました。

嘉明は晩年、ひとから、「どういう家来が、いくさに強いか」と、きかれました。当然、強いといえば天下にひびいた豪傑でしょう。
 が、嘉明は、
「そういうものではない。」と言いました。

「勇猛が自慢の男など、いざというときどれほどの役にたつか疑問である。かれらはおのれの名誉をほしがりはなやかな場所ではとびきりの勇猛ぶりをみせるかもしれないが、他の場所では身を惜しんで逃げるかもしれない。合戦というものはさまざまな場面があり、派手な場面などほんのわずかである。見せ場だけを考えるている豪傑など、すくなくとも私は家来としてほしくない」と豪傑を否定しました。

戦場でほんとうに必要なのはまじめな者である、といいました。見せ場のみを考えていると、肝心の合戦には負けてしまうんですね。地道な努力が必要ということです。目立たないけれどもまじめに任務を遂行している人、これを大切にしましょう、といっても、多くの経営者は気づいていることだと思いますが。

現在、「まじめなひと」という表現は「いい人」と並んで、損なキャラクターの意味と、畏敬を払う意味とが混じり合って、複雑なニュアンスで用いられることが多いです。しかし、まじめな人が得をする社会と、損をする社会と、どちらの社会に住みたいでしょうか?良く考えてみれば…です。

まあしかし、若者のみならず、年配の方でもまじめの良さに気づかず、デメリットばかりに目が行って、せっかくの「まじめ」を潰してしまうことが多いです。後に残るものは享楽的な雰囲気はいい場合もありますが、「まじめに働くのがソン、いい加減が◎」というのが一番怖いですね。