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ほんものの体育会系とは?

体育会系の原点はやっぱり軍隊でしょう。旧日本軍で、人間関係で一番イヤだった事として挙げられるのは、暴力に基づく鉄拳制裁です。しかし軍隊では、そこに意外に理由があったりします。例えば海軍では…

・敷居を踏んでいけないのは→フネを傷めないよう、またつまづかないようするため
・敬礼でヒジを張らないのは→狭いフネの通路で素早く動くため
・声出しをするのは→戦争中、嵐の航海中でもでも命令が聞こえるようにするため
・ロープを踏んではいけないのは→足を蛇のように絡まるロープに取られないようにするため

帆船は船乗りの練習になるといいますが、こういうところで役に立つんですね。一歩間違うと命にかかわることです。

こういうところで、敷居を踏んだり、声が小さいと鉄拳が飛び、痛い思いをするというのは、命を掛ける軍隊なら当たり前のことです。もっとも今の自衛隊であるかどうかは分かりませんが。

しかしここで「命まで掛ける要無し」ということになったらどうでしょう。単なる意地悪になってしまいますね。意地悪した方が完璧な能力の持ち主であれば、突っ込まれなくて良いのですが、今は、若い方が能力がある場合もある時代です。

では怒らなくていいのかといえばそうではありません。体育会系の初心に帰るのです。「意地悪」の要素をなくして、最初に挙げたように合理的にやれば良いのです。その際重要なのは決して「俺が育ててやろう」と思わないことですね。欠点をつぶせば完璧になる、欠点ができれば改める、こんな簡単なことです。

他人の精神的成長などはどんなに偉い上司でもできるものではありません。そこまでやったら疲れてしまいます。いつしか体育会系は、合理的な成長というところを外して、精神まで支配するものになってしまいました。ほんものの体育会系とは、実は目標達成のための合理的な手段なのです。