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河井継之助の好色手帳

司馬遼太郎「峠」によると、この越後のサムライは江戸の歓楽街、吉原の遊女をほとんど買い、その感想をいわゆる「サービス嬢個別紹介書」につけていたようです。そのランキングとは、

×…バカで醜くて取るに足らぬ女
△…手取りが良いというだけの女
○…美しくて利口な女
◎…人間として見事に出来上がっている女

いや、非常に興味深い評価基準です。×や○は分かりますが、分かりにくいのは△や◎でしょう。

△の「手取り」とは給料のことと思われますが、給料が高い≠美女、人格になっていないところが興味深いですね。これはあくまでも河井継之助の評価ですから、現実ではないとしても、現在の遊び人も、こうした「基準」を持っているのではないでしょうか。単に無計画に遊ぶだけの男はともかく、「ちゃんと」遊んでいる方は結構精神面を重視するようですね。

◎は、テクニックがうまいということなのですが、マニュアル通りのサービスで気持ちよくということではなく、「心」を蕩かしてしまうほどの人間という意味だそうです。「こいつ、オレに惚れやがったか」と、巧妙にも思わせてしまう、これこそ究極のサービスでしょう。カネで取引しながら、帰ってくるものがこういうものならば、顧客に非常な満足感を与えるでしょうね。

風俗のみならず、こういうサービスを与える方法を学ぶには、いろいろな切り口があると思いますが、「仕掛け」があるかないかで、判断するのも1つの手かと思います。教養や血統、住んでいる家屋敷、家来の数に礼儀作法に儀式です。案外そんな形式が重要だったりします。この継之助の評価も「仕掛け」に重要性を認めています。◎の女性は天性の人格の他に、そういう「仕掛け」があったのですね。

1人の人間や1つの組織に過ぎないものに何らかの「ハク」をつける場合、こういう「仕掛け」づくりは大きな位置を占めるでしょう。