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北条早雲の人事術

北条早雲―早期の戦国大名の1人で、60歳になってから大名になりました。そんな早雲の人の使い方はどうだったでしょうか?

一言で言うと、人情と合理性を調和良くない混ぜたものです。一気に書きますと、

「武士らに扶持(ふち:領地)を与えるには特別な心得がいる。20前の若者や、70以上の老人には功があっても扶持を与えず、金銀を与えるが良い。老人は命の短いものであるゆえ、すぐその子の代になる。その子の器量が尋常ならよいが、つたなければ取り上げねばならぬ。しかし取り上げれば必ず恨みを含む」

「20以前の若者は、成人してどんな者になるか見当が付かない。若いときは優れていても、成人してうつけものになる者もあり、度々あやまちをしでかす者であることが珍しくない。これまた扶持を取り上げなくてはならないが、これも必ず恨みを含むようになる。

当人だけではなく、縁に連なる親類一族どもまで恨むものだ。といって、器量のつたないものに扶持を与えておけば、家中一般の気風が緩んでくる。とかくあとくされのないように金銀を与えておくべきである。」

扶持を地位と読み替え、金銀を昇給と読み替え、年齢調整をすれば、現代にも通じる立派な人事方針ができるような気がします。

しかし個人的見解ですが、早雲のような苦労人の引いた立派な路線を子孫が維持できなかったのは、誰にでもできるようなものではなかった、という点が原因だと思いますが、いかがでしょうか?北条氏は早雲の死後100年で豊臣秀吉に滅ぼされています。