« 坊さんになりたい? | メイン | 改革者の”末路” »

歴史を変えた大説得

また、坊さんの話です。
文覚上人(「もんがくしょうにん」生没年不詳)のことです。平安末期、源氏と平氏が覇権を争っていた頃の人物です。

平氏全盛の頃、横暴極まる平氏を倒す勢力の筆頭として挙げられていたのが、伊豆に流されていた源頼朝でした。後に鎌倉幕府を開くあの頼朝です。しかし、その頼朝も幕府を開く第一歩を踏み出すのは、相当勇気が要ったようです。

彼は流人でしたが、生活は源氏ゆかりの豪族が賄ってくれました。従者を置くくらいの暮らしが可能で、近所の姫君との恋愛を楽しんだりしていました。今の「義経」の中井貴一のようなイメージの緊迫した政治の世界を望むヒトではなかったのです。まあお気楽なプレイボーイといったところでしょうか。

その頼朝を巨大な敵に対する挙兵に踏み切らせたものは…他にも要因があるでしょうが、

この文覚上人の説得だったという伝説があります。

上人は頼朝のところへ行って「兵をお挙げなさい」と言いますが、なかなか頼朝は聞きません。ある日上人は風呂敷包みを持っていきました。中から1つのドクロを取り出し、うやうやしく拝んでから言いました。「このドクロは、何を隠そうあなた様の御父上の首級でございますぞ!」頼朝の父、義朝は平氏に負けて逃げる途中、だまし討ちに遭って殺されました。

これはプレイボーイも飛び上がらざるを得ませんね。上人は「私がこっそり平氏のところから盗み出してきたものでございます」と来歴まで明かしました。これで頼朝も決心が付いたのです。しかしこれが本物の義朝の首級であったかどうか。そこら辺にドクロが転がっていた時代でしたからね。俗才に長けた上人の知恵だったかもしれません。

この坊さんは元々は荒武者だったのですが、人妻に恋愛して恋敵と誤って殺してしまい、出家しました。この時頼朝と同じ伊豆に来ていたのも、京都の神護寺の再建費用を強請したため流されたもののようです。平氏滅亡後は生き残った平氏の幼子の命乞いをしたりと、荒々しい中にも人情のある坊さんだったようです。神護寺では今も、中興の祖として文覚上人を称えているようです。

この坊さんに共感の持てるのは、何宗とか、何氏に属するとか、私利私欲でモノを言わないところですね。非常に「男らしい」生き方です。しかしやり方が乱暴で周囲との軋轢が多く、何度も島流しに遭っています。こういう人は組織にとってはコワイのです。無欲の強さですね。