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ナポレオンと参謀本部

ナポレオンがアレクサンダー大王、ジンギスカンに次ぐ「侵略者」になり得たのはなぜでしょう?自由を各国に運ぶ正義の軍隊だったから連戦連勝したのだ、という論議もありますが、一番の原因は彼が軍事の天才だったということでした。フランスの猛威に、プロシャ、ロシア、オーストリア、イギリスなどは対策に頭を痛めました。何しろ、相手は「天才」ですから。

ここでプロシャ(ドイツ)の取った戦術は、「参謀本部」方式でした。天才一人にかなわないなら、大勢の知恵を出し合おうというわけです。参謀本部で参謀を育成し、前線の各部隊に送り込むというやり方でした。これらの参謀は連携して情報交換し、全体の流れをつかんで司令官に報告し、司令官はそれを参考に軍を動かします。

ナポレオンのトップダウン方式に対して、衆知を集めたボトムアップ方式です。ワーテルローの戦いではナポレオンの命令を誤解した将軍が戦場に間に合わなかったのに対し、プロシャ軍はイギリス軍を素早く援軍として助け、勝利を収めました。

では日本はどうだったでしょうか?

日本はどちらかというとナポレオン方式でした。「参謀」を教育して作っても、現場の声の強い風土では、あまり役に立たないからです。ラインとスタッフの区別を余りしないでうまくやってきました。

そういうところで無理に”スタッフ”階層を作るとうまくいかないんですね。みんなスタッフが特権階級だと思ってなりたがるに決まっていますから。本来スタッフは諮問機関で、決定機関ではないのですが、スタッフがトップのようになって専断した場合の悲劇が多いために、ワンマンな社長といわれようと、日本の社長はスタッフ機関(参謀本部)を設けないのです。

ですから、日本では社内では、ラインとスタッフを分けずに、諮問機関は外部の人間がなるのです。共同経営が日本の場合大抵仲間割れに終わるのは、内部では却ってモノが言いにくいからです。だからストレスがたまってケンカになるのです。

日本の参謀本部はできて100年持たず、戦争に負けて消滅しました。ナポレオンは参謀を置かず、アドバイスしてくれる人がいなくなったために墓穴を掘りました。一番のトップの組織は、外部アドバイザーの生かし方にあると思いますが、いかがでしょうか?