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死ぬよりは辞められないのか?

パワハラで労災認定

私の故郷の話です。売り上げが上がらず、個人の預金まで切り崩して損失を補填し、2時間の拷問的叱責をされたそうです。

これで労災が認定され、それなりの補償がされることになったのは良い事ですが、問題は本人の無念です。なにも死ぬことはないのに、といつも思います。

でもそうは行かないんですね。仕事というのは何が何でもしなければならないものであるという観念になるのは分かります。組織の雰囲気に周りの目に、家族も抱えているとなれば周りが見えなくなっていきます。何も本人の資質の問題ではありません。だれにでも生ずる問題です。

上司に従順な、会社にとって必要な人材ほどこうなるので、皮肉なものです。筆者など悪い奴なので、それでも生きています。(苦笑)

また気になるのはこの上司の叱責です。何のための叱責なのか、良く考えたのでしょうか?叱る場合には、いくつかチェックすべきことがあります。

1、感情的にならない、興奮しないこと
2、誤りを叱ること、人間を叱らないこと
3、意気消沈しているときに追い討ちしないこと
4、みんなの前で恥をかかせないこと
5、正しい解決法に道を開くこと
6、事実より拡大して叱らないこと
7、叱るタイミングを外さないこと
8、かえって親しくなるような叱り方をすること
9、叱っても最後には褒めること

私が管理職において「必要最小限」と思うものだけでもこれだけあります。この労災給付の原因になった上司はこれを忠実にやったのでしょうか?特に3や5、8、9などは実行していたかどうか甚だ疑問です。

日本の組織では年功序列を重んずる場合、それだけ人間性も円熟してくると考えられがちです。しかし、良き営業マンが必ずしも良き管理職にならないように、管理職になったらなったで、それなりの教育が必要です。

わが国では「死ぬ」ことは仏さんになるということです。神様に祟られないような組織人でありたいものですね。

改正労働安全衛生法が施行されました。内容は、
「月100時間を超える残業をした労働者から申し出があった場合、企業は医師の面接指導を受けさせ、疲労の蓄積があれば必要な休暇取得などの措置を取らなくてはならない」
というものですが、叱責の場合は?まだまだ直接的な法制化は難しそうです。しかし労働者にとって大事なものは時間より精神になってきているのですから、早急の対策が求められます。