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旧日本軍、士官の考え方

旧日本陸海軍の士官といえば、少尉以上、大将に至るまでの軍隊の管理職です。暴力が多く、奔敵(敵に走る)脱走も他国の軍隊と遜色なく出た日本軍です。しかし特にその草創期である明治時代は士官の考えもうなずけるものがあります。私自身は軍隊が消失して久しい時代の甘ちゃんではありますが。

士官を教育する陸軍士官学校、海軍兵学校も先輩後輩の秩序があって、鉄拳制裁も行われていました。その理由は、

一般の兵隊ならともかく、士官が人を殴れないのはイカン!

徴兵された兵隊を率いるとはどういうことか?

兵隊一人一人の生命をこの手に預かることである。

ひいては日本の国に暮らす人、全ての命を預かることである。

日本は貧乏国である。その中で国民は皆、死ぬ思いで働いている。

なぜ働くのか?西洋の植民地にならないように働いているのだ!

生命を守るには、いざとなれば、素早く最良の決断を下すことが必要である。

そんな中では手っ取り早い暴力での秩序維持もやむをえないことである。

と、こういう感じの思考回路です。

暴力はいけませんし、軍隊と違って現在の社会は死ぬは生きるはの世界ではありません。しかし、平和な時代でも経営者や管理職が部下の背景に思いをいたすとき、これは尋常にはやっていられないと思うのではないでしょうか?

個人単位では人は存在せず、どんな人でも家族があり、親があり、囲まれている社会があります。人間個人は醜いところもあります。しかしその人間を囲む社会に責任を持とうというところに、職業人としての純粋な使命が生まれるのではないかと思います。

ネットの良い所は、欠点もありますが、人とのつながりを簡単に実感できるところにあります。最近特に若い人が、個別のわがままな人間から、社会に囲まれた「使命的人間」としての自覚を持つようになりつつあるのは、バブルがはじけて以来私が良くなったな、と思う点です。