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平凡ということ

平凡になることは難しいよ、という真実があります。しかし、トップが平凡だとどうなるか、ここに1つの歴史上の例があります。

来年の大河ドラマは山内一豊の妻の話です。陰日向に夫を助けたいわゆる”あげまん”のお話で、妻の活躍で夫は土佐高知24万石の大名に出世してハッピーエンドという結末でしょう。

しかし、大名になった後の一豊は恐るべき”凡人”ぶりを発揮します。
戦国大名は、実力社会ですから相手の国を取ったり攻め滅ぼしたりした場合、トップのクビはとっても、家来は召抱えるのが普通でした。普通と言っても征服者ですから、寝首を掻かれる可能性もあったりします。しかし大大名といわれる殿様はその包容力で敵対者を味方に変えていきました。

将棋の駒は敵方の駒を取ると味方の駒として使えますよね。それと同じ発想です。

しかし一豊は違いました。

彼が土佐藩主になったのは徳川家康に認められてのことでした。土佐の国はそれ以前は長曽我部(ちょうそかべ)氏という大名で、家康に敵対して滅ぼされたのです。滅ぼされたといっても元は四国を征服した大名で、有能な家臣が大勢残されました。

もし一豊が包容力があれば、この家臣を再び雇ったでしょう。もとは敵方の家臣でも家康に許可を得て自分の家臣にした例は数多くあります。しかし一豊は平凡な人柄です。土佐以外のところで新規に雇った家臣を連れて土佐に入りました。従ってもとの家臣はほとんど農民同様の身分でした。不平がなかろうはずがありません。

また一豊は相撲興行をすると偽って、この元家臣たちを集め、73人をいっせいに磔にして殺してしまいました。彼らが反乱を起こせば、たちまち大名は取り潰されてしまいます。不安の種は取り去っておこうというわけですが、それにしても手荒いやり方です。

この後、野中兼山という政治家が出て、土佐を富国にしました。さらに幕末、土佐勤皇党という時代に先駆けた志士の集団ができました。しかしいずれも潰されて、関係者は陰惨な最期を遂げました。

こういうことはどうも藩祖一豊の「凡人」からきた藩風のようなものの気がするのです。そう考えると私は一豊という、ある種の「常識人」は好きになれないのです。