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差別と軽蔑の哲学

以前、ヒトラーの年金について調べたことがありましたが、ヒトラー治下のナチス・ドイツとはどのような政治体制でしたでしょうか?

一言で言うと「差別と軽蔑の哲学」に基づくものだったのです。ユダヤ人迫害や捕虜虐殺、強制労働はすべて、この哲学の名のもとで実行されました。なぜこんなものが生まれたのでしょうか?

第1次大戦後のドイツは、稀に見る不景気でした。かといって、お金持ちがいないわけでなく、産業復興も順調でした。一言でいうと「上下格差の時代」ですね。下のものは当然上のものをうらやみ、しばしば倒そうとします。

当時の政府はワイマール憲法に象徴される議会制民主主義政府です。しかし昔からの貴族社会や家父長的家庭制度は厳然と残り、「プロシアでは国家が軍隊を持っているのでなく軍隊が国家を持っている」といわれたような軍国主義も健在でした。昔からの制度抜きには政治の安定など望めない状態でした。

それをナチスはどう利用したのか?

上下格差の”下”のものには、”上”の者が悪いんじゃない、ユダヤ人が悪いんだ!また、外国が悪いんだ!と言ったのです。”下”のもので実力があれば、既存の階級でなく、新設のナチスの役職を与えました。これで昔からの貴族や軍隊も納得します。しまいには貴族や軍隊もこぞってナチスに入党し、地位や名誉を求めるようになっていきました。

これこそ、差別と軽蔑の哲学で、ユダヤ人虐殺もドイツ国民には抵抗なく受け入れられていきました。日本のえた・ひにんの制度に似ていますね。もっとひどいのがいるから我慢せよという意識です。

もっともこんな秩序は崩壊するのが当たり前で、ドイツは敗戦し、責任者は裁かれ、処刑されました。他人を言われなく差別すれば、その他人は差別する人間を支持しない、と言うことに留まりません。悪い意味での上下の差別と軽蔑に基づくマイナーな感情がとめどなく広がっていくのです。ユダヤ人差別はロシア人や東洋人まで広がろうとしていました。

むろん、敵側の連合国やその他外国のみならず、ドイツ人もこのような秩序の良くないことを知って、糾弾する人はいました。道義的にも当然こういう秩序は許されないことです。

組織のトップの中には、このように「スケープゴート」を見出して秩序を保とうとする方もいます。しかしお金がお金を生み出す運用ならともかく、差別が軽蔑を生み出す組織は、ナチスのように「敗戦」することは間違いないでしょう。