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「人間に価値があった」3,500年前

今から3,500年前、中国の話です。当時は殷王朝。いわゆる”お話”と遺跡から分かる時代相です。この時代はまだまだ奴隷制時代。中東ではハムラビ法典が出た時代ですが、中国では法典が世に現れるのにまだ1,000年ほどかかります。

この当時のお墓を発掘したところ、「殉葬」された人が多かったようです。お棺のある西側の穴に24人、東側に17人の男女の骨が埋まっていて、その上層に頭骨が散らばっています。この41人は生前は近侍・侍女だったらしく、装飾されています。

もっとひどいのは少し離れた穴に10人ずつ首をはねられた人骨が放り込まれていることです。要は、近侍・侍女と奴隷を数十人、王の死とともに首をはねて死刑にして一緒に葬ったということです。

別の場所では、軍隊が500人、首をはねられて埋葬されています。指揮官は首があるのですが、兵隊はことごとく「クビなし死体」です…

写真を見ると非常にグロいのですが、解説はこの「人間の屠殺」は実は人間に価値があったから、と言っています。血による浄めの儀式によって、牛や馬を葬るより死した主人の肉体は神聖にされ、あの世での安らかな生活を保証される。また、軍隊を500人殺すのは、あの世での安全を保証するものである、とあります。

でもそれにしてもグロ過ぎます。

当時は科学的な実証が少なかったので、古代人は目に見えぬ「悪魔」とも戦わねばならない現実がありました。高貴な人間の血を流せば流すだけ、この「悪魔」が浄化され死んだ王の永生が保証されるというものだったようです。

こういうものを見ると、つくづく現代の文明・科学はありがたいものだと思います。文明に囲まれていても、閉鎖的な集団には同じような思いが芽生えるように感じました。「人が貴重で大事だからこそ」の大虐殺なのです。

やたらバッサバッサと人を殺す殺人鬼や、オウム、浅間山荘の連合赤軍なども同じ心境になるような気がします。思想や時として自分自身が脳内で極端に偉いものになってしまったとき、これが怖いのです。

たとえ首を切って穴に放り込むほどでなくとも、何かの道連れに殺すほどでなくても、過剰な愛がしばしば生命を奪うものであるように、極端な「思想」は非常に非合理的なことが多いです。

そこへ行くと「制度」は批判されることが多いけれども、何といっても大勢の合意で生まれたものであり、少なくともオリジナルな「思想」よりは世の中に膾炙しているのです。会社も同じです。「制度」のない会社は、「偉大な王」のために貴重な人材を殺して穴埋めにしてしまう、こんなことが現実でないと言い切れるでしょうか?