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乱暴者鎮圧か?官憲の横暴か?

昔は夏になるとダウンタウン(労働者の街)では、暴動が起こることがありました。バブル崩壊後の不況で最近ではすっかりおとなしくなったとも言いますが、どうでしょうか。15年前の「釜ヶ崎暴動」は、ニュースでも報道され、生々しい映像が全国に放映されたこともあります。その映像を見る機会がありました。

1990年の暴動では、警官が暴力団と癒着していたということが公になり、周りの労働者が警察署を襲ったのが発端でした。鋼鉄のカブトムシの大群のような機動隊が、主に白いシャツを着たオッサンたちを追い散らしていきます。

オッサンたちの問いかけにはカブトムシの群れは無言です。「秩序を守る、法を守る」以外の要素は警官には無用なのです。石が当たり、血を流して意識不明になっても彼らは恨み言のひとつも公にすることは許されていないでしょう。でも映像を見る限り、警官は弱そうな人ほどぶん殴りますね。

我々なら「ああまた警官の不祥事か」でニュースを見て終わりですけれど、普段警官に監視され、いわれなき差別を受けている人間の怒りは想像を絶します。強者におもねり、弱者を叩きのめす公的権力。この矛盾はオッサンでない腰抜けでも怒らざるを得ないでしょう。ただ大多数の人々は生活を守るため、暴動しないだけの話です。

そもそも「弱い」立場の人をなぜいじめるのか?ここに問題があります。特に組織内では弱い立場も強い立場の人も、それほど違いがあるわけではありません。色々な事情を抱えている人が多いのです。それを理解せずにカネやモノで釣って、陰で迫害しては何にもなりません。

日本の昔話は意外にお年寄りや子どもが活躍します。農耕民族ですから、全ての人の力を結集しようとするDNAがあるのでしょうか。「弱い」人を切らないでいかに集団の力を発揮するか、ここにこれから労務対策の妙味があるかも知れません。

しかし最近は強い人が多くなって、世の中息詰まるようになったり、「強い」人ほどストレスを貯めたりと、全ての人が「弱い」人と言えなくもありません。釜ヶ崎暴動の労働者も警官も、実は似たようなものなのでしょう。

こうなると支援するとか、助けるという一方的な対策より、目的に合った仕組みづくりの方が重要になってきます。釜ヶ崎もNPOの活躍が良い効果を上げているようです。カネもモノも含めて、コミュニケーションを円滑にする仕組みづくりを大事にしていきたいと思いました。