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大愚の管理職是か否か?

トップは必ずしも有能である必要はない、というお話です。長州藩の幕末期のトップは「そうせい候」と言われた、少なくとも表面上は愚直な殿様でした。

家来A:「幕府を倒したいです」トップ:「そうせい」
家来B:「幕府を倒したいなんて言った奴を処刑します」トップ:「そうせい」
家来C:「討幕派を処刑した奴に仕返しします」トップ:「そうせい」
家来D:「あいつは有能だから処刑しません」トップ:「そうせい」

と、こんな具合です。もっとも長州藩はトップの権威を認めないという反骨精神がありました。そういう空気もあったでしょうが、よく言えば柔軟、悪く言えば節操なしです。しかしこのやり方で、時代の流れにうまく乗った、ともいえるのではないでしょうか。

長州藩の高杉晋作がいい例です。彼はそこそこ良い出のお坊ちゃまでした。世の中が変わらなければ、ひょっとして家老くらいまでいけたかも知れない家柄です。しかし彼は脱藩はするは、公金を遊興に使うはで、とんでもないワル坊主でした。

しかし彼の才能を認めた人間が「許されませ」といって、例によって「そうせい」で、未来の家老が革命児になったのです。ただその晋作も「晋作を殺しましょう」「そうせい」で随分逃げ回っています。(笑)

土佐藩は坂本竜馬はじめ、長州藩に負けない人材を出しているのに、長州藩に出遅れたのは、トップが有能だったからです。土佐のトップは養子からでた苦労人で、かつ学問もすごい出来で、力も強かったようです。

家来A:「幕府を倒したいです」トップ:「ハァ?バカじゃねえの」
家来B:「幕府を倒したいなんて言った奴を処刑します」トップ:「手ぬるい!拷問して吐かせろ!」
家来C:「討幕派を処刑した奴に仕返しします」トップ:「本意じゃないが仕方ない」
家来D:「あいつは有能だから処刑しません」トップ:「ダメ!殺しちまえ!」

結果として土佐藩は大勢の人材を自ら失い、維新に出遅れました。幕府は有能なトップ(井伊直弼)を失って滅びましたが、長州藩は無能なトップが新時代を開いたともいえます。トップは有能か無能かどちらが良いか?

結局は足元の組織が決めるような気がします。長州の藩風は述べたとおりですが、土佐や薩摩は上意下達の縦割り社会でした。薩摩も結果として藩風で西南戦争を起こし、多くの人材を失っています。若い人の意見を円滑に聞ける組織、これが一番理想的に思います。