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"家族的な雰囲気"のワナ

”家族的”という言葉があります。家族そのものでなく、”家族的”とは旅館やお店なら良いのですが、これが学校・職場・家族そのものに持ち込まれるとエライことになることがあります。

”家族的”の”的”は大雑把に言えばニセモノということです。具体的には厳しさが消えて優しさだけが残るということになります。家族的学校、家族的職場、家族的家庭?が組織の問題になってきてはいないでしょうか?

職場に関して言えば、部下に”にらまれないように””嫌われないように”という風潮がある職場があります。そこまででなくとも、部下を守りすぎる職場ですね。

管理職の役割とは何でしょうか?

管理職の役割とは、部下を効率よく動かし、成果を出すには、部下の指導・教育・育成が第一です。本当に指導をしたならば、その成果はたとえ他社に移ってもきちんと残るものです。しかし甘やかすだけでは、指導する責任を放棄したに等しいのです。

話の分かる上司は例外を作りすぎ、道徳を軽視して大過なく過ごすことを主眼とする傾向があります。昨今の成果主義で部下ですら競争相手の現実も、そういう風になることを助長しています。人間だれでも他人の教育より火の付いた自分の保身に走らざるを得ません。ですから指導する人間には特別なステイタスが必要です。

だから、学校・職場・家族は”家庭的”ではなく、”家庭”そのものでないとまずいですね。甘いだけではいずれ家庭も破綻するように、甘いだけの職場もいずれは破綻します。学校教育が人間教育を怠っている今、職場での教育者は”家庭的上司”ではなく”家庭のボス”であることを要求されるのです。

そしてそれは難しいことではありません。人間一般を信じ、愛情を持てばできることです。人間社会、悪いヒトばかりじゃないでしょう。もたれるばかりでもなく、突き放すだけでもない、人間の欲求を切り盛りするという点では上司とは政治家でもありますね。