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危機の外務大臣

私が明治維新以降で尊敬する歴史上の人物は3人ありますが、いずれも外務大臣です。そのよく知られている実績は…

陸奥宗光  … 不平等条約改正、日清戦争講和条約
小村寿太郎 … 日露戦争講和条約、不平等条約改正
東郷茂徳  … 太平洋戦争終戦

いずれも、日本が相当な危機に見舞われたときの外務大臣で、その後の日本の礎を築く元になる業績を残した人物です。彼らが活躍した舞台の詳細は書籍に譲るとして、その交渉の特徴は「崖っぷちギリギリの交渉」にあると思います。

つまり、例えば戦争の講和に失敗すれば疲弊した国家を再び戦争の惨禍に放り込まなければならなくなります。しかしそのプレッシャーに屈することなく、相手国に対し卑屈になることなく、テクニックも駆使して、正に決裂の一歩手前で自国の長期的利益を勝ち得た、というものです。

では、現在の外務省、外交の現状はどうでしょうか?

外務省なんか要らない、とされた騒ぎはこの4年ほど前ですが、東郷茂徳が寿命を削って得た60年の平和の間、外交は崖っぷちギリギリの交渉はなくて済んできました。ヒマになったら不祥事か、といったところで、これも平和の証しかも知れません。しかしここへ来て、中国との問題が曲がり角に来ています。

外交も政治もそうですが、交渉事というものは、たとえ今時代に合っていないようでも、先を読んで落し所を決めるという必要があります。なぜそんな苦労をせねばならないかというと、相手が人間またはその集団だからです。合理性だけでも、義理人情だけでも動くとは限らない中で、危機の中の外務大臣はそんな法則性のない世界で立派な結果を残しました。

外交も政治も結局、人間を扱うことそのもののような気がします。「まつりごとは事務ではないよ、簡便なるほどよろしいのだ」と吉川英治の「三国志」にありますが、交渉事自体は後で本を読めば簡単なことに見えます。ただし「人」を扱う職業ならば”崖っぷちの交渉”やどんでん返しの展開などは覚悟しなくてはならないなと感じています。人間を扱う商売は実は究極の裏方さん(苦労が分かりにくいという点で)のような気がします。