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松陰 in プリズン

19世紀日本の最大の教育家、吉田松陰。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文ら幕末の志士を世に送り出し、維新の原動力となった思想を打ち立てた碩学です。

そんな松陰も、ペリーの黒船来航の際、「一緒に乗せて行ってくれ」と頼んで断られ、鎖国の国法を犯したかどで、罪人になりました。

すごいと思ったのは、その獄中における態度です。
最初は江戸の牢獄。生殺与奪の権を握る牢名主に議論を吹っかけ、「明日もやれ」と感動させました。
次に故郷の獄に入れられました。このときは牢獄を大学の講義室にしてしまいました。

こういうことになったのは、彼の長州毛利家一と言われた才能もさることながら、彼の純粋無垢な態度です。江戸の牢獄では「私は死を覚悟して渡海を決意したのでどこで死んでも悔いはない」と言いました。故郷の牢獄では収監者の長所を見出してその一芸ごとに師匠として敬い、長年牢に入って表情がなくなっているような者にまで、人変わりせしめました。

ここで重要なのは…

① 格好だけでなく本当にリスクを負える態度
② 欠点を包容し、長所を伸ばせる性格
私は教育者ではありませんが、賃金・人事など「ヒト」に関する商売をする上で、こういう覚悟は必要ではないかと思いました。

昔の牢獄は「ひねくれ者だ」「浮気をした」という程度でも5年10年と牢入りしていましたが、個室に引きこもった現在社会自体、昔の牢獄と言えなくもないです。そうした中で「ヒト」を伸ばすにはどうすればいいか、松陰はリスクを負った末、刑死しましたが、死ぬほどでなくとも、よほどの覚悟が必要だと思います。