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好い意地悪と悪い意地悪

その昔、「意地悪の天才」という本を読んだことがあります。例えば…

レストランのボーイがする意地悪と題して、
福神漬のないカレーライスを持っていく。「おいおい福神漬がないぞ!」と言われたら、ライスを掘り出して中に埋めておいた福神漬を示し「ほらここにあるでしょ」と言う、などとナンセンスな娯楽書です。

それはともかく、意地悪にもいろいろありますが、世の中悪い意地悪がほとんどですね。まあ言ってみれば機嫌の悪いのをそのまま出した、ストレートな意地悪です。これは珍しくもなんともありません。

しかしながら、誰かを教育する、そっちは違うよといってあげる役割の教育のプロには、「意地悪の天才」つまり好い意地悪をする方がいます。

社労士の仕事でいいますと、例えば建設会社のエライさんがふんぞり返って、下請をこき使っているとしましょう。下請の労災はこのエライさんの会社が担わなければならないのに、下請の方の弱みに付け込んで、下請の会社に労災を担わせようとしています。

ここでカッコいい社労士の登場です。エライさんといえど、ゼネコンでは社長さんではありません。そこで、大企業が法律を守らないとこのコンプライアンスの時代、大変なことになる、あなたエライさんといっても、社長を差し置いて会社のコンプライアンスを堂々と破れるのか?と、やり込めるわけです。

やり込めるといっても無論その過程は被告人に対する検事のようではありません。ここで「好い意地悪」の登場です。笑顔で少しずつ、分かるように説明していく過程で、こういう意地悪が必要になるのです。要するに、ソフトランディングとしての、きつい直言より軽い説得方法ですね。

しかし悪い意地悪は小学生でもできても、こういう世の中を良くする珠玉のような意地悪は誰にでもできるものではありません。私もまだまだですが、少しでも「好い意地悪」を行使できるように頑張ろうと思います。