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150年前の雇用保険

フランスはフランス革命でいきなり共和国になったのではありません。何回かの揺り戻しを経て、民主政治を確立しています。その中で、社会主義運動の一環として、雇用保険も生まれました。

ルイ=ブラン(フランス・1811~1882)は、社会主義者ですが、不合理な競争をなくし、労働者を保護するためには、国家が生産を統制すればよいと考えました。国が工場を経営すれば、競争に巻き込まれることもなく、労働者を搾取する必要がなくなると考えたのでした。

彼は1848年、大臣になりました。彼が中心になって、労働者への福祉政策を行いました。10時間労働制を制定し労働時間の短縮を行ったりしましたが、最も有名なのが、国立作業所の設立です。

ルイ=ブランは前項のように、国立工場の経営というプランを持っていましたが、これを具体化したわけです。8時間労働の今は当たり前のような感じですが、当時は画期的な改革でした。

ところが、いきなり工場を建設できるわけはないので、国立作業所では、登録した労働者に公共土木作業をさせて賃金を支払います。

これが現実には、失業対策事業になってしまいました。政府は登録者の数をそんなに多くはならないと見積もっていたのですが、失業者のあいだで、国立作業所に登録すれば仕事がもらえるという評判が広がり、登録者はどんどん増えました。

3月には1,500人、4月には6万6,000人、5月には10万人にまで膨れ上がります。10万人も労働者が集まっても、そんなに仕事はないわけですが、政府は仕事がなくても登録者には、賃金を支払いました。

当然、これは政府の財政を圧迫し、まもなく国立作業所の廃止を決定します。このころには、ルイ=ブランは政府の中で完全に孤立していました。労働者の要求を切り捨てる政府の方針に反対して、パリ民衆が武装蜂起を起こしましたが鎮圧され、死者、逮捕者ともに1万人以上といいます。

ルイ=ブランはイギリスに亡命し、10時間労働制も廃止されてしまいます。数ヶ月だけの雇用保険でした。いや、保険ではありませんね。保険料を取っていないから、これは一種の生活保護ともいえます。しかしこういう試行錯誤を経て、雇用保険もできあがってきたわけです。