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年金受給者:ヒトラー
総選挙が自民党の圧勝に終わり、小泉首相は独裁者になって狂気の道を突き進むのではないかという恐れがあるようです。「小泉首相はヒトラーだ!」と言い放った方もいたようですが、ヒトラーとは第二次世界大戦を起こし、ユダヤ人大虐殺を行ったあの狂気の独裁者です。
ヒトラーの後半生は有名なものの、その行動の基盤となった前半生は意外に知られておらず、歴史学者の研究の対象となるくらい不明なものでした。
これは当時の状況に加えて、ヒトラーが政権に付いた後に過去を故意に隠したせいもあったのです。しかし近年では研究が進み、若き日のヒトラーが、芸術家を志す傍ら、年金制度で生活費の一部を賄っていたことが明らかになっています。ここでは、ヒトラーの前半生を辿ることで、100年前と現在の日本の給付水準を簡単に比較してみたいと思います。
ヒトラーの父親は10代の頃から40年勤めたオーストリアの税関官吏で、退職時の年金は退職当時の本俸が100%支給されました(現在の日本では退職時の60%前後です)。その父親が死亡した後残された母親、ヒトラーとその妹には遺族年金として父親の年金の50%が支給されました(現在の日本では原則として遺族厚生年金で75%です)。父親の給料は小学校の校長より多かったといいますから、相当の財産も蓄えられていたようです。
ヒトラーはこの間、当時の学校に合わずに退学し、今風に言えばフリーター生活を送っていました。父親の死後4年で母親も死亡後、両親・叔母の遺産と20歳まで支給される孤児年金で生活し、美術学校への試験の失敗後は、それらに加えて自分の描いた絵を売り歩く生活をしていました(現在の日本では子に対する遺族年金は、障害者でない限り18歳に達した後の最初の3月31日までです)。そうこうしているうちに、第1次世界大戦が起こり、ヒトラーに政治家への道を志す決意を決めさせることになるのです。
この例を見ると、年金は100年の昔も現在の日本の制度もそれほど給付水準に違いがないことが分かります。つまり国や時代が変わっても、老後の生活に必要な額を計算する上での考え方はそれほど変わっていません。
ちなみに当時のドイツは、社会主義鎮圧法などで社会主義を取り締まる一方、最初に健康保険や年金制度を導入した当時としては高福祉の国でした。鉄血宰相ビスマルクの「アメとムチ」政策の成果です。
さて、読者の方はあるいは、上記の文章の流れからして年金制度問題と、彼の独裁者への道との因果関係の解き明かしを期待された向きもあるかもしれませんが、この短文で私が言いたいのは、先ほど申し上げたように100年前のドイツの年金制度と、現在の日本の制度の簡単な比較でした。
ではここで、少し視点を変えて昨今の日本での年金制度論議を見てみますが、その中でも重要なのは、このままゆくと年金の給付額が生活保護を下回る事態もあり得るということです。先に見たようにヒトラー時代のドイツではそのような逆転現象は考えられません。しかし日本では老後の保障という意味の年金の意義は崩れ去り、働かなくても食えるほうが遥かに良いということにすらなってしまうかもしれません。
そうなれば、社会保障費の増額という金銭だけの問題ではなくなり、世の中全体に社会的歪みをもたらすことになります。そんな社会が現出してよいはずはありません。
年金制度の改革に際してはこれらの問題にまで踏み込んでの、公正な負担に立脚した、生活する上での適度な保障とは何かという観点からの議論をして欲しいものです。